INTRODUCTION作品紹介
石は主張する
-吹奏楽のために
[ 演奏 ] 光ヶ丘女子高等学校
[ 作品解説 ]
「バンド維新」のために曲を書くのは2度めである。前回は2011年。「樹々は主張する」という曲だった。タイトルで明らかだが、それに連なるのが今回の作品である。
「樹々」の場合同様、「石」も具象的な描写の対象ではない。フレーズの末尾にある種の癖を持つオスティナートに、主張する石を象徴させたと言っていい。その動きに誘発されたユーフォニアムがソロ的に跳梁するが、協奏曲にしようと考えたわけではない。このユーフォニアムを石と捉えても差し支えはないが、作曲者としては、むしろ石の主張が生んだ波及効果の一環のつもりである。
E♭クラリネット、アルトクラリネット、ダブルリード属や弦バスを欠いた編成であるが、現場で、それらの楽器をこのスコアに加えることがあっても一向にかまわない。僕は吹奏楽を書く機会が多くない作曲家であるが、吹奏楽のスコアはフレクシビリティを具備すべきと考える──と「僕は主張する」から。
虹のある風景
[ 演奏 ] 静岡県立浜松商業高等学校
[ 作品解説 ]
たまには和菓子とコーヒー、抹茶とアイスクリーム、まだまだあるでしょう・・・・三味線の音楽とウィンドアンサンブルの音楽、これらは明らかに違う文化的環境のなかに生きてきたものですね。いわば異文化が偶然に出会い、それぞれが、そのまま自然に生きることのできる環境は、私にとって嬉しく望ましいものです。たとえば、都会でしたらスクランブル交差点での出会いもありそうですが、この曲ではタイトルのように、遠くに山が見える「虹のある風景」という環境での出会いを望んだということですね。
三味線には、特有の厳しく律動的な表現を貫かせ、ウィンドアンサンブルには、まど・みちおさんの詩による私の合唱曲の「虹」の部分からの引用を含ませました。両者は、緻密なアンサンブルの関係にはなく、時々お互いに関心を示しながら、同じ環境で同じ時間を過ごします。
風のファンファーレ
ウィンド・
アンサンブルと
フレキシブル・バンド
のための
祝典音楽
[ 演奏 ] 浜松市立湖東中学校
[ 作品解説 ]
10周年を記念した祝典曲との依頼。そのため内容は明快な祝祭的なもの。が、そこはバンド維新。音楽面ではなく編成面での提言を試みた。
小編成スクールバンドの難しさは、人数が少ないことによる楽器編成の不足とアンバランスさもさることながら、「初心者も必ず重要な役割を果たさなければならない」点にある。これを解消する方法として近年に注目を集めているのが「音域さえ適合していればどんな楽器で演奏しても構わない」という考えで作られた「フレキシブル・アンサンブル」だ。しかし、ここには各楽器固有の表現が失われる、上手な生徒には簡単すぎる(あるいは初心者には難しすぎる)、という問題がある。
この曲は「上手な生徒」を想定した6つのソロ・パート(Fl、Cl、A-Sax、Trp、HrnまたはEuph、Trb)と、初心者を想定したフレキシブル・パート(木管3、金管3、低音1)、それに打楽器3パートとピアノ、という編成で書かれている。フレキシブル・パートは各パートに最低1奏者いればよいが、複数の楽器が存在してもよく、場面によって奏者数を変えてもよい。また、ある箇所では1st flexを担当していた者が2nd flexに移る、といった工夫もよいだろう。場合によってはソロ・パートを複数人で重ねて演奏してもよいし、打楽器も1stはマルチを要求しているが分散させるのもよい。柔軟な運用で、各バンド独自の「色」を創って頂きたい。
曲自体も、全曲でコンサート・ピースとしても使えるが、部分的に抜粋し式典ファンファーレとしても使えるだろう。
秘儀Ⅳ<行進>
[ 演奏 ] 浜松海の星高等学校
[ 作品解説 ]
ひたひたと始まり、次第に速度をあげて高まって、最後は虚空に炸裂消滅する幻想のマーチ。
深い森の闇の向こうから、魔物の集団のような行進が近づいてくる。その群れにあっという間に包み込まれ、引きずられ、あおられるように自分も行進に加わる。
行進は全体がひとつの生き物のようにうねり、線状や点状に様態を変えつつ諧謔し、興奮し、狂乱し、叫びわめいて最後は疾走状態となり、ついには中空に炸裂するように消滅する。秘儀の祈祷が呼び起こす一種悪魔払い的な交響幻想行進。打楽器群の行進リズムに乗って、旋律的あるいは点描的なユニゾンが展開される。東洋風な旋法が現れ、一部ではバリ島のケチャ風なユニゾンも奏される。
前作、秘儀III〈旋回舞踊のためのヘテロフォニー〉が3拍子の舞踊曲であったのに対し、このIVは2拍子のマーチ。両曲は姉妹作である。IIIと同様に各楽器の使用音域も演奏が容易な範囲にとどめている。
希望の世界を
目指して
[ 演奏 ] 浜松市立篠原中学校
[ 作品解説 ]
この二、三年間世界は激動の時代を迎えている。シリアやアフリカでは戦争が絶えないし地球自身も温暖化や寒冷化や、こんなに傷付いて悲鳴をあげている。昔、「沈黙の春」を読んだ、悲鳴をあげているうちはまだ生きている証があるが、鳥も鳴かず虫が飛ばなくなってしまったら、もう遅いのかも知れない。最近ネットで気になる記事を読んだ、アメリカで在来種の蜜蜂が絶滅したらしい、もしかしたらこれが終わりの始まりかも知れない。
と、書き進めたが、でも人間はそれ程馬鹿ではないと信じたい。地球の未来は若者にかかっている、鳥が鳴かなくても我々には音楽がある、歌がある、希望の音で世界を救えると信じたいと思っているが、明日はトランプ氏の大統領就任式。少し困った、いやいやそれでもやっぱり希望を捨ててはいけない、人間の知恵と明るい未来を信じながら、音楽をやり続けよう、皆んなで「希望の世界を目指して」頑張ろうね。
Resurrection
[ 演奏 ] 静岡県立浜松北高等学校
[ 作品解説 ]
『復活』という表題を持つこの曲は、その題名の通りイエスキリストの受難と復活を描いたものである。曲は6つのセクションから成り立っており、冒頭の第1部は人間の不信と猜疑、無関心と圧力に満ちた混沌とした重苦しい世の中を、突如現れる第2部は十字架上のキリスト、まさに磔刑の場面を、第3部はその後の空虚に満ちた世界を、ごく短い第4部は復活の予感を、チャイムで幕を開ける第5部は復活とその感動を、リズミックなアレグロの第6部は神の子として生きる私達人間の歓喜と感謝を、それぞれ時間の推移とともに表している。
この曲の主要部である第5部では、私の男声合唱作品”Cantate Domino”(主に向かい新しい歌を歌え)のテーマが奏される。復活はまさに、新しい時代の幕開けの象徴でもある。混沌とした現代に生きる私達は、今こそ『新しい歌』、つまり『真理』を探し、高らかに叫ぶべきではないかとの思いから、ここに私が最も愛する調性である変ニ長調のテーマを置いた。
この曲を演奏する皆さんが、どんな時代になろうとも否むことの出来ぬ、人間の希望と信頼、愛と夢を表現してくだされば幸いである。
現代吹奏画報
[ 演奏 ] 浜松市立開成中学校
[ 作品解説 ]
現代音楽が嫌いだった。
友人からレコードを聴かされて「どうだ、カッコ良かろう?!」と問われた時も、素直にうなずけなかった。学生の頃の話だ。
コンサートにも何度も足を運んだ。それは約2時間の哲学の道場の様でもあり、半ば拷問の様でもあった。確かに終った瞬間の解放感はあったが、必して後味のいいものではなかったな。ともかく一向に好きになれず、僕は現代音楽を遠ざけた。
僕はエンターテイメントの世界に身を投じた。自分の好きな、そして他人の役にたつ音楽を書き続けて来た。他人が喜ぶ、そして自分が喜ぶメロディーを書き続けた。それはそれで良かったのだ、何ら疑問の余地はない。しかしそれでも、決して自分の思い通りにならなかった”現代音楽”への「敗北感」とでも言おうか、未知への「憧れ」の様な感覚はずっと秘めていたのだ。こういうのをコンプレックスというのだろう。
ところが最近、そんなことがどうでも良いと思えて来た。フランスで現代音楽を研究している娘から、「現代音楽家っていうのは、現在生きている音楽家っていう意味なんだよ。」と聞かされ眼が醒めた。そうか、僕は現代音楽家だったのだ。僕の作る音楽は、人が好こうが嫌おうが、立派な「現代音楽」だったのだ。
そう思った時分から音が流れ出した。手はじめに雑誌の様な曲を書きたい、と思った。「物語り」や「小説」ではなく「雑誌」の様な。
「現代吹奏画報」は、そんな自分にとっての新たなる1ページとなるはずだ。事実、この曲を書き上げ、初めて音を出した時、「あぁ、やっと僕は作曲家になれた…」という気がしたのだった。
月山-白き山-
[ 演奏 ] 静岡県立浜名高等学校
[ 作品解説 ]
この曲は小さな編成のバンドでも効果的かつ音楽的な曲を、との要望に応えて作曲しました。
テーマとして私が選んだのは、私の故郷でもある山形県鶴岡市から眺望できる霊峰「月山」です。
「月山」は出羽三山の中でも一番高い山で、冬はその美しい姿に雪化粧をまとい、またの名を「白き山」とも呼ばれて人々の心に敬虔な思いを抱かせます。
曲は「月山」の荘厳な美しさを讃える第一主題で始まり、この主題が調やテンポを変えながら展開していきます。
そして山の厳しい天候や四季折々の表情を表すように、軽快な第二主題が速いテンポで演奏されます。
この二つの主題が交互に奏され、曲はクライマックスへと向かいます。
演奏にあたって、第一主題はハーモニーをよく聞きながら歌ってください。
第二主題はテンポが崩れないように、また、音符や譜割の正確さに気をつけて演奏してください。