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【メゾ・ソプラノ歌手】坂本 朱




2013年12月12日(木)開催「アクトシティ浜松ワンコインコンサート」出演

音や声をいいなと感じる感性は、皆すでに持っているもの。
わざわざ取り込もうとがんばらなくても、絶対に皆の中に備わっていると思うんです。

メゾ・ソプラノ歌手 坂本朱

2013年6月東京都渋谷にて

声楽を始めようと思われたきっかけは何ですか?
 声楽の勉強をきちんとしようと決めたのは、高校2年の春、大学進学の進路クラスを決めるために担任の先生とお話をした時でした。
 9歳から地元の少年少女合唱団に入っていて、歌が大好きな女の子でした。ピアノにも憧れて習っていましたし、コーラス部にも入っていましたが、まだ音楽の道へ進むとは決まっていませんでした。
 しかし進路選択のとき、芸術学部の音楽の授業で恩師となる声楽出身の男の先生が、私に対して、既に音大を目指している学生と決めてお話されたのです。自分で決めたというより、先生や周りの大人に導かれてという感じでしょうか。それで、歌だったら私がんばれるかなと思ったのがきっかけですね。

小さい時から歌が好きだったのですか?
 好きでした。小学1年生のときの通信簿にも、「とても元気よく上手に歌う女の子」と書かれていました。家でも童謡やレコードをかけて大きな声で歌っていましたし、音楽の授業も大好きで、歌うことを恥ずかしいと思ったのは、大きくなってからかもしれないですね。小さい頃は、嬉しいから、大好きだから大きな声で歌を歌っていて、それが、合唱団へ入ることなどに繋がっていきました。

そのまま“好き”が今の道になっていった?
 それが、大学に入り大学院へも進み研究生などもやっていましたが、はて?私は何者だろう?と思った時に、何者でもない、と思ったのです。次に、先輩などの影響もあり留学をしたくなったのですが、親は大変怒りました。しかしそれでもチャレンジしていくなかで奨学金をもらえる奨学生に合格しまして、そこで両親も少し安心したのか、そういう流れなら、と許してもらいました。でも出発する時から「いつ帰ってくるんだ」と聞かれましたし、帰ってくるものとばかり思われていました。

 誰もがそうかもしれないけど、実は進む道って自分では決めていない気がします。知りたい、こうなりたい、などの憧れや希望を持って動いていると目先に目標をいただけるから、それに向かって歌い続けていたら今まできたという感じ。音楽家は多少そういうところがあるんじゃないかしら。いつから音楽家になったのか?という点に関して、ここに入ったから今日から、とかそういう区切りはずっとないと思います。評価の基準には、学校の卒業や終了、コンクールなどがありますが、でもそれがあったからといってずっと舞台に立たせていただけるとは誰も思っていないですし、約束も保証もできないこと。私自身が決めることもできないことですから。

ご両親は反対されたのですか?
 高校生の時、芸大を受けるといったら一ヶ月以上父は口を利いてくれませんでした。家庭の環境もあると思いますが、その頃の両親は、もう少し語学を勉強して教師になるのだろうと思っていたと思います。でも、両親はそう言いながらも経済的なことも含め、愛情で応援してくれました。ほかの大勢の大人の方や先生方にもたくさん助けていただいて、今があります。

イタリアに留学され、現在も日本とイタリアを行き来されていますが、イタリアでの生活はどうですか?日本との違いを感じますか?
 当初は、日本、イタリアそれぞれに良いところ嫌いなところがあったのですが、今はどちらも大好きで、素晴らしくて。日本にいたほうが私らしくいられるのか、イタリアにいるときのほうが私らしいのかということを無駄に考えていた時期もあったのですが、今はどこにいても私は私だと、ぶれないものを見つけられました。人との交遊、音楽と私との交遊は、別にどこにいても変わらないんだというところに今、たどり着いています。

 日本とイタリアで大きく違うと感じるところは、日本はきちんとしているというよりは、人間なのに無機質に近くなっていて、それがきちんとしている、礼儀正しい、我慢強いという雰囲気になっている気がします。イタリアはそういった文化がなくて、もっと人と自然とが触れ合い、同時に存在しています。街づくりも自然にあふれていて、そこがイタリアの敬いたいところ、大好きなところです。日本も、昔は建築物ひとつでも縁側というものがあって、自然と家が空間を共有していて、お茶の間というひとつの畳の部屋が居間にもなって、お客さんの寝室にも自分の寝床にもなって、子供の遊び場にもなってと、そんな多様な風呂敷と同じような素晴らしい生活空間を作っていました。便利とか近代化とかを頑張った先にあるものが、人間らしさというよりは物のほうに支配され、物の中にはまっている窮屈さを感じます。それがないイタリアの人は日本に来たとき、電車が1分もたたずにまた来ることや、みんな並んで乗っていくこと、新幹線が到着したらみんな乗らずに待っていて、その間に清掃員の方がとてもきれいに車内を清掃し、更に乗客に対して「ありがとう」と挨拶してくれることなど、清掃の素晴らしさ、整理整頓、礼儀に対してすごいと言ってくれます。一瞬ですごいと感動できることと長いスタンスで心地いいと感じられることを分けて考えるとしたら音楽も同じで、一瞬でおもしろいと食いつくものと、もう少し生活のなかに取り入れていきたいと考えるものは違うものかもしれませんね。

ブログにも風や空、緑などの描写がたくさんありますね。自然がお好きなんですか?
 好きです。私だけじゃなく、人も動物たちもみんな好きなんじゃないかしら。「自然に戻りましょう、みなさん」と呼びかけたい(笑)歌を歌っていることは、結局ありのままの自分を出すことで、歌を歌う本人、演奏する本人たちがそういった自然に還ることから離れてしまっては危ないと思います。人は言葉を持って話を始め、作業を始め、空間が広がり叫ぶようになった、叫ぶのから今度は歌を歌うようになって、祝うとき悲しむときに歌に詩をつけるようになった。そして手の器用だった人たちが、人間の声のように素晴らしい楽器が作れたらとヴァイオリンやオルガンを作っていった。チェロやバスなど大きさが変わっても同じで、人間の前には昔からいつもずっと自然があって、そのなかで音楽や歌を作って来たわけだから、「もう、既にあるんですよ」ということなんです。音や声をいいな素晴らしいなと感じる感性や、音楽に対する感受性は、皆すでに持っているもので、わざわざ取り込もうとがんばらなくても絶対みんなの中に備わっていると思うんです。もし備わっていないかもと思ったとしたら、それは自分たちが遠ざけて自分たちの前から削って失くしていっていると思う。例えば子供のキャッキャッとした声や、風が吹いた時に樹の枝がサーっと鳴る音、それが気持ちいいなぁとか、人々の拍手のパチパチと鳴る音も嫌な音には聞こえないですよね。暖炉やキャンプファイアーの火が燃える音、波の音でもせせらぎの音でも、聞いた時に絶対嫌な音じゃない、心地いい音なんです。危険だと思ったときの音は、やはり怖い音に聞こえるけれども、それは嫌な音というよりも怖さを知ったあとに嫌な音とわかりますよね。私、一度イタリアで嵐の音を聞いたことがあるんです。本当にものすごい嵐で音もすごかったのですが、私たちは家にいるから安全で飛ばされないと思って窓を開けてその音をずっと聞いていました。おっかなかったけど、雷なんて光ってすごかったけど、怖い音だけど、自分に危険がないから聞けたんですね。それは大きくなっていくと芸術創造の次元で、オペラとか映画とかで私たちは体験していて、それも自分たちが安心なところにいるから、そういうものすごい自然を受け入れられる。そんなふうに、自然と接しながら「今日は雨が降りそうだ」などと感じる人間の本能を、もう少し取り戻さないと元気がなくなっちゃうんじゃないかな。もっと自分に問うて。坂本さんはどのようにして落ち着かれますか?とよく聞かれますが、自分に問うこと。あなたがやっていることを私がやるのではなく、自分で作る。猫がそうしているように、もっと自分の好きなように工夫してみようよ、と。そこで自然に戻りましょうという思いと、自分を知ることは誰もがやっていることだけれど、静かに深くというところまでいかないときに、もしかしたらこういうコンサートが少しでもきっかけになればという気持ちがあるんです。

メゾ・ソプラノ歌手 坂本朱

音楽やコンサートは、敷居が高いと構えてしまう方もいらっしゃいます。
 そうですね。でも歌というのも、何をやっているのかと言われれば、所詮息を吸って吐いているだけなんですよね。最初から最後まで息を吸って吐いている。それをやっていなきゃ歌は出てこないし、生きてもいられない。お客さんも席に座って無事にお家に帰っていただくこともできません。一緒に息を吸って吐いて、という、生まれてから亡くなっていくまでずっとやっていることを共有するだけなんです。あるんだから、そのままそれを受け入れる。難しい知識はいらなくて。

 例えば、コンサートのアンコールでも、だんだんみんなの拍手の音が合ってくる、あの一瞬はすごいことですよね。あのリズムが揃って拍手されているときのお客さんの一体感って、すごいことだと思うんです。お客さん同士が一体になるし、最後の最後だからこそ起こるんですが、アーティストがあれを聞くと本当にすごく嬉しいし、実は歌より、あの一瞬のために今までがただあったように思う時もあるくらい。最後の一曲のアンコールを歌わせてもらっている間が、本当に福に至る、至福の瞬間。そういう時ってお客さんが本当に近くて、舞台に乗り込んできてくださるのが感じられます。舞台に立つ人間が難しいことを言う必要もないし、来てくださる方も難しい知識や構えは必要ないんです。よく、観に来て寝ている方のことをマナーが悪いなんて言うけれど、寝られるんだから寝ていただいていいんですよ。私の大学院の担当教授も、私の発表会の時は絶対寝ていました(笑)「坂本くん、あなたの歌を聴いて寝られるということは悪いことじゃないんじゃ」と仰って。居心地が悪ければそうはならないからと。

演奏者もお客さんもあるがままでいられるコンサートが、理想的なのですね。
 人が感動するって結局それは、分かち合えたからなんですよね。与えられて感動しているというのは、そう思っているだけ。共感できる相手とは話していて嬉しいし、楽しいし、幸せです。人であり、生きている存在である限り、もし芸術の空間がお母さんの胎内にいたときのような心地良さだったら最高なんじゃないかと思います。私も母の胎内の中にいた時のことを覚えてはいないけれど、目指す場所、空間かなぁと。

歌の力を実感したできごとは、ありますか?
 3.11の後に福島で歌わせてもらった経験を今でもすごく鮮明に覚えていて、度々思い出します。この声でドレミの歌や花の街、翼をくださいを歌ったり、フランス語で突然オペラのアリアを歌ったりしたのですが、幼稚園や保育園、小学校の子たちが普通にはっとして聞いてくれるんです。目をきらきらさせて。もともと福島は合唱が盛んな土地柄でもあるのだけど、「一緒に歌おう」と言った時に返ってきた声のすごかったこと。本当に大きな声で恥ずかしがらず1列目から後ろの席まで一生懸命歌ってくれて、「一緒に歌う」という経験ができました。大人になってお互い削り合ってしまったり、仮面をつけてしまったりした部分も、子供のようにあるがままの状態のところに戻れば、コンサートなどにおいてもあんな純粋なことができるんじゃないかと思います。私、本当にみんなのことが大好きなんです。どの人のことも。
 例えばオペラにおいては、絶対に愛と死がテーマとして入ってきます。テレビのバラエティ番組のように表面的に笑わせるだけではないところまで深く降りなければ作れないものです。先日、演出家とも話したのですが、愛だ恋だというけれど、愛というのは私たちは知っているんですよね、母の胎内にいたのだから。愛というのは知っていて、逆に恋を知らないんじゃないかって。よく、恋のほうが簡単で、指南書など本もたくさん出ていて、愛を知らなかったというけど、本当は愛はわかっていて、恋を知らない、恋を知らなくて恋ができなくて失敗しているだけで。でも、手練手管でなく、最初からただ愛せばいいんだと思うんです。そうできる本質は皆すでに持っていると思う。息を吸っていて、風は吹くし、火はおこせばあるし、太陽はあるし。そう思っていると、歌う側もすごく安心した状態で歌うことができます。この人たちにこの歌は受けるかなとか、歌の内容は伝わっているかな、わかるように歌わなきゃとか、そういう意識はいらなくて。私も全てあるものを出すので、お客さんにも全てあるものを出していただいて、分かち合いませんか?ということにいければと思っていて。
 また今度福島でうたわせていただく機会があるのですが、みなさんと仲良くなったおかげもあって、松田聖子さんの瑠璃色の地球という曲を坂本さんが歌っているのを聞きたいとリクエストが来まして。私は曲を知らなかったのですが、YouTubeを見たり楽譜買ってみて、少しクラシック風にアレンジして作って歌ったりすると、坂本朱流の瑠璃色の地球になるんですね。だから選曲ひとつにしても、私は全然こだわりなく歌っていきたいと思うんです。お客さんが聞きたいと言ってくれるのだから。翼をくださいも、小学生に一緒に歌いたい曲は何ですか?と聞いたらリクエストされたもので、教科書に載っているというのと、私も何度も歌ったことがあってすごく素敵な曲なので、じゃあ歌おうとなって。そういう時が、歌を歌っていて本当によかったなぁと一番思う瞬間です。技巧とかテクニックを果たせて、お客さんがそれに拍手してくださることもひとつですが、それだけじゃなく、もっと今いる空間をみんなで分け合うようなことができた時ですね。一度でもいいからそこに触れていただけたら、あとはもうジャンル問わずに歌を聴こうが楽器を聴こうが、クラシック以外のものを聴いていただいても、きっと楽しみとか喜びとかが全部入っているのがわかっていただけるのでは、と思います。

クラシック以外のジャンルの音楽も聴かれますか?
 私も様々な人の影響があって、いろんなジャンルの音楽を聴きます。驚く人もいるけど、色んな音を聞いても、あ、これ好き、というのがあるんです。ドラムをポンっと叩く音ひとつでも、ぐっと心にくるものがあったり。日本の伝統的な和太鼓や舞台でも、音に限らず能狂言でも歌舞伎でも、役者のしゃべり声を聴いただけで「おお!」と思う人の声はやはり勉強になります。僧侶がお経を読む声も、この人いい声だなとか、きっと天に届いているだろうと感じたりします。だから音楽や音楽以外も、ジャンル問わず色々なものに触れています。電車に乗っていて、どうしてこの人の声はうるさく感じるんだろうとか、この人の声が気持ちいいのは何でだろうとか、外で遊んでいる子供の声を聞いて、何であんなに声が通るんだろうとか、気になって聞いたりもします。ウィーン少年合唱団のずっと聞いていたくなるその魅力はなんだろうと考えてみると、やっぱり清いところ、きれいなところなんですよね。削られていない、汚れていない、自分の何かに光を当ててくれるものがある。曲とか題名、言葉云々ではなく、もっとすとんと、聞いただけでふっと胸に入ってくるようなものがあるんです。
 イタリアだと朝の4時くらいから順番に鳥が鳴くんです。順番があるんです、何でわかっているんだろうと思うくらい。最初はきれいな声で鳴いている鳥がいて、鳩は5時半くらい、カラスは夕方、つばめも夕方飛んで。犬は時間になった時と、お腹すいたら吠える。猫もずっと一緒にいれば、3~4通りの鳴き声がわかってきます。五感で感じられる幅が、一瞬でも膨らむ空間が音楽の時間なのかもしれません。それが、アクトシティ浜松でも創れたら素敵ですよね。

浜松には、どんなイメージをお持ちですか?
 音楽の街ですから、音楽に対して厳しいのではというイメージがあります。お客様が色々なものを聞き慣れているんじゃないかなと。一口飲んだら味がわかってしまう利き酒のような、厳しいところもあるんじゃないかなと思っています。

 プログラムをいま考えているところで、来年やる予定のカルメンのハイライトだとか、日本語の歌もやったほうがいいかなと思ったりしているのですが、福島の小学校でフランス語の歌を歌った時、即興でそこにいた若い男と女の先生を相手にお芝居のようにして歌ったら、子供たちがそれだけで理解してくれていて。みんなが普通に分かってくれているのが伝わってきました。フランス語が分かるわけでもないのに、その音楽とシュチュエーションを楽しんでくれていて。自分でも、歌い終わってフランス語だったんだって気づいたくらい。
 音楽って、そういう言語とか国とかを超えるものがあるし、伝わるものなんですよね。
 福島へはサンプラザ中野さんと一緒に行ったのですが、彼はギターを弾いて「ランナー」を歌って、私はピアノを弾き、翼をくださいなどはみんなで一緒に歌って。市歌も子供たちはみんな歌えて、大きな声で歌ってくれました。その時って、こちらも一生懸命で本気ですし、向こうもあるがままなんだけど、やっぱり本気。だから、爽快感に満ち溢れて終わって、教頭先生も大変喜んでくださいました。仮設校舎だったのですが床が抜けるんじゃないかというくらいみんなで盛り上がって、すごく素晴らしかった。音楽の力をお客様によって再確認させていただいたし、これからもそういうことができるといいなと思わせていただきました。アクトシティでのコンサートでも、流行などに惑わされず、私たちが本来持っている素晴らしさが発揮できるようなコンサートが作れたらと思っています。

 素になれる部分、自分に戻れる部分があれば、強くもなれるし、思いっきり悲しむこともできますよね。苦しいことにぶち当たって苦しんでもいい。休める場所、私たちはここから生まれてきたんだと思える場所があったら、気を張ってもいいしシュンとしてもいい。聴いた人の気持ちが緩んで元に戻れるような、ふわっと力を抜けるような、そんなコンサートができたらいいなと思っています。お客様にもぜひ一緒に歌っていただきたいですね。
坂本朱さんからのメッセージ

メゾ・ソプラノ歌手 坂本朱

(C)武藤章

東京藝術大学卒業。同大学院オペラ科修士課程修了。伊原直子、高橋大海、アンジェロ・ロフォレーゼの各氏に師事。
大学院在学中、関西日伊コンコルソ入選、第6回飯塚新人音楽コンクールにて大賞及び文部大臣奨励賞受賞。
1989年イタリア政府給費留学生としてジュゼッペ・ヴェルディ音楽院にて学ぶ。
91年トーティ・ダル・モンテ国際声楽コンクール、ベッリーニ国際音楽コンクール優勝。
トレヴィーゾ・ロヴィーゴにてペーター・マッグ指揮「コシ・ファン・トゥッテ」のドラベッラ役で出演した他、イタリアの作曲家フランコ・バッティアートの新作オペラ「ギルガメッシュ」の女神役にも抜擢され、ローマのオペラ座でも公演を行う。

92年フランシスコ・ヴィーニャス国際歌唱コンクール第3位入賞、国際ベルヴェデーレ・オペラ・オペレッタコンクール入選。93年にはバッティアートのミサ曲のソリストとしてイタリア各地の主要な教会にて演奏し、アッシジ、聖フランシスコ教会でのコンサートは全国にテレビ放映された。以後、「ナブッコ」のフェネーナ、「セヴィリアの理髪師」のロジーナ、「カルメン」のタイトルロール等に次々と抜擢され、豊かな表現力と圧倒的な存在感で喝采を浴びた。

95年プラシド・ドミンゴ国際オペラコンクール「オペラリア」入選、96年第24回ジロー・オペラ賞新人賞、翌年には第25回ジロー・オペラ賞を連続受賞。同年秋のサイトウ・キネン・フェスティバルでは、オペラ「ティレジアスの乳房」に唯一の日本人ソリストとして参加し注目を集めた。その後、三枝成彰「忠臣蔵」の大石主税役、新国立劇場開場記念公演「建・TAKERU」の倭姫役で出演し、その存在感を強く印象づけ、99年の新国立劇場「カルメン」タイトルロールでは、ひときわ輝きを見せた。02年カザルスホールにてロベルト・マリア・クチノッタ氏と、歌とパイプオルガンによるリサイタルを行い大成功を収めた。

オーケストラとの共演も数多く、テミルカーノフ/サンクトペテルブルク・フィルと「アレクサンドル・ネフスキー」(03年10月)、ホーネック/読売日響と「マーラー:交響曲第3番」(04年1月)「ヤナーチェク:グラゴール・ミサ」(04年10月)、マーカル/チェコ・フィルと「第九」(04年11月)、京響&東響と「シェーンベルク:グレの歌」(06年6月)、アシュケナージ/EUユースオーケストラと「マーラー:交響曲第2番」(08年8月)、ロジェストヴェンスキー/読売日響と「長崎」《日本初演》(09年11月)、マゼールが指揮をする全交響曲連続演奏会2010の第九(10年12月)、ヴィンシャーマン/東京都交響楽団とブルックナー「テ・デウム」 など共演し、好評を博した。

またオペラへの出演も意欲的で、新国立劇場「アンドレア・シェニエ」ベルシ役(05年11月)、同「運命の力」プレツィオジッラ役(06年3月)、同「黒船」姐さん役(08年2月)、同「鹿鳴館」大徳寺侯爵夫人季子役(10年6月)に出演と新国立劇場でのオペラには多数出演。他にも彩の国ヴェルディ・プロジェクト「トロヴァトーレ」アズチェーナ役(05年3月)、兵庫県立芸術文化センター「蝶々夫人」スズキ役(06年7月)に出演し、いずれも話題を集めた。

CDはギターの福田進一氏との武満ソングス全21曲を収録した「Liberté」を2010年秋にリリース。

イタリアと日本を拠点に、各地で数多くのコンサートに出演。教会音楽へも幅を広げ、多くの教会でパイプ・オルガンとのコンサートを行っている。日本を代表する実力派メゾソプラノとして、活躍を続けている。二期会会員。