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【メゾ・ソプラノ歌手】藤村 実穂子


一流の演奏家を国内外から招き、圧倒的な演奏をお届けしている「アクト・プレミアム・シリーズ」〜世界の演奏家たち〜。3月7日に登場するのは、名だたる劇場やオーケストラと共演し「現在最高のメゾの一人」と称されるメゾ・ソプラノ歌手、藤村実穂子さんです。歌手になったきっかけやヨーロッパを拠点とする日々の生活、今の時代にこそ感じる生の舞台に立つことの意味などについてお話を伺いました。

歌手になろうと決心したきっかけについて教えていただけますか。

© Rand G Photography

小さい頃から歌が好きで好きで、小学校からの帰り道の徒歩40分は作詞作曲して歌い、学校の無い日は朝5時に起きて玄関の前に犬3匹を座らせて作詞作曲して歌っていました。6歳からピアノを習い、音程が良いからと小学校5年生から声楽のレッスンにも通い、記念に受けたつもりだった芸大に受かってしまったのです。派手で目立つオペラも魅力的でしたが、時と共にドイツ歌曲に惹かれ、大学生の頃ミュンヘンで2回受けたハンス・ホッターのドイツ歌曲のマスタークラスで「成長した」と言われて調子に乗り、先生のところに通うためにミュンヘンに留学したのです。
きっかけというより、私には歌しかなかったんです。
               

ヨーロッパを活躍の場に選ばれた理由をお聞かせください。

 クラシック音楽の本場で自分が「なんぼのもの」か試してみたかったのです。ミュンヘン音楽大学の大学院修了前、多くのオーディションを受けたのですが、その中で決定的な経験をしました。ある歌劇場でオーディションを受けたところ「歌も、歌の技術も、容姿も、君が一番よかった、君はアジア人だが、演技もできると容易に想像できる、しかしうちは欧米人を採る」と。「それなら欧米人より10倍、あるいは100倍『良ければ』採ってもらえるかもしれない」と思ったのです。しかし芸術において『良い』とは一体何でしょう?
 
 所謂クラシック音楽、オペラと呼ばれるものは元々ヨーロッパで生まれた文化です。歌詞はイタリア語やドイツ語、フランス語、出てくる役は殆ど欧米人であることが前提です。その舞台にのこのこアジア人が出てきたら、欧米人があら捜しする深層心理が働くのは当然です。もし歌舞伎の舞台にアメリカ人が出てきたら、日本人は「えっ?」と思うのではないでしょうか。私、その舞台に本当にのこのこ出てくるんですからね(笑)。欧米人はあら捜しし始めます。それは「やっぱり本場は違う」という観光でなく、ピリピリと肌で感じる日々の現実、毎日のレアリティ―です。嫌なことを言われたり、されたりというのは日常茶飯事ですが、そういうことが繰り返されると、これは学べということなんだなと思い始めました。自分にされて嫌なことを他人にしない、自分が言われて嫌なことを他人に言わない、そう決心しました。これを学びに自分はヨーロッパに来たんだなと、今では思っています。そして言葉は凶器だな、と。なるべく人を傷つけないように生きていく。難しいけれど、命をいただいて学ぶことの大きな一つと思っています。

 考えれば世の中、本当に便利になりましたよね。スマートフォンを撫でれば好きな物が家に届き、日本ではコンビニに行けば何でもあるし、スピーカーに頼めば色んなことをやってくれる。リモコンでテレビのチャンネルやボリューム変更だけでなく、電灯のオンオフ、エアコンの温度調整だってできるようになりました。しかし耳を塞ぎたくなる様な事件が起きる度、考えるんです。人は人をコンピューターかスマホのように思い始めているのではないかと。人の心もクリックすれば思い通りに変わってくれる、そんな風に人間の考え方や感じ方も狂ってきたのではないかと。 
 
 「音」というのは科学的に言えば、1秒間にいくつかの音が鳴る、次の1秒にいくつかの音が鳴る、その繰り返しです。しかしそれがしばらく繰り返されると音と音の間に、人の何かが呼び起こされ、何かを感じる。意識しようがしまいが、人には喜びや痛み悲しみは必ずある。口にしようがしまいが、それぞれの思いがあり、置かれた状況がある。音楽があると、人と音は何らかの形で結ばれる。人はロボットでも、コンピューターでもない。だからこそDVD でもユーチューブでもなく、「何か」を求めて演奏会に足を運んで、生の人間の声や楽器の生の音、生の舞台を聴きに、観に来る。それは人であることを確認しているのではなかろうか、そんな風に思うんです。

コロナ禍どうなさっていましたか?

ミュンヘン国立劇場にて『ヴァルキューレ』フリッカ役
(ヴォータン役:John Tomlinson)

 ちょうどMET(ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場)で歌っていて、公演半ばにして帰ってきました。住んでいるドイツでは食料品店と薬局以外はすべて閉まって、演奏会なんてもってのほか、でした。私は「一体いつ歌えるのか」という不安をかき消すかのように、毎日モーツァルトとバッハ、シューベルトを聴き、もしかしたら行われないかもしれない公演のために勉強していました。公演は本当にキャンセルされ、1年延長された公演も最近キャンセルになりました。歌えて当然だった以前の日常について、深く考えられる良い時間になりました。
              

規則正しい毎日と、食べ物にも気を使われているとお聞きしました。

 白い小麦粉と砂糖、アルコールは避け、野菜、果物、全粒穀物、魚中心の生活です。家にいられる時は朝フレーカーで古代麦をフレークにし、お昼は粉挽機で古代麦を挽いてパンを焼き、山盛りのサラダといただき、夜はフルーツとチーズを少し。合わないものを食べると思考が狂うので、自分に合うものを食べているだけです。「気を使っている」というつもりは全くないんですよ。

 朝から夕方まで暗譜や楽譜を読み、夕方エアロバイクに最大90分位乗って、簡単なヨガとストレッチ、コアマッスルをして、夜は事務仕事、という毎日です。休日はありませんが不自由は全く感じません。楽譜を読むとは、詩人や作曲家が感じたり描いていた世界を、自分で見つけ出し、描くことです。楽譜の一段位を50回ほど繰り返して、詩人と作曲家が何を言いたかったのかを徹底的に探り、詩の主人公の立場に自分を置き、作曲家がそれにどういう和音やメロディーをつけたかを、自分の体に感じるまでにします。こうして人の気持ちや心を察したり想像することは、このインターネット時代、以前にも増して大切になってきた気がします。クラシック音楽はすっかりお金儲けになってしまい、アーティストは外見によって選ばれ、音楽は手軽な「コンビニ」と化しています。ネットで聴いてコピーし、ちょっと練習して舞台に出るのは、果たして「音楽」なのでしょうか。歌詞を、楽譜をしっかり読んで、自分が思う音楽を演奏し、ヘッドホンとライブ公演の違いが感じられる演奏をしていないと、お客様はどんどん減っていくのではないでしょうか。何故なら音楽には人を癒すが力があるから。「私は歌詞を、曲をこう理解した」というものをしっかり持って舞台で歌う時、とても細いしかし強靭な糸で、一人一人の人間とつながっているという感覚を覚えます。そしてその糸は国境も人種もなく、目に見えずしかし深く暖かく、そして何ものにも代え難いものです。
                  

アクトシティ浜松に御出演されるにあたり、抱負をお願いします。

 今回のコロナで「生きるって、学ぶということだな」と思っています。逆に言えば「ということは生きているってことだ」と。聴く者として、歌う者として、私には音楽があって本当に救われています。舞台での楽しみは、そこに居合わせた全く知らない人々と、その世界を「共有」すること。少しでもつながる瞬間があれば、私にとってこれ以上の幸せはありません。楽しんでいただければ嬉しく思います。
                

アクト・プレミアム・シリーズ2021〜世界の名演奏家たち〜Vol.25
藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)

2022年3月7日(月) 19:00開演 
●アクトシティ浜松 中ホール
●入場料(全席指定)
 S席 6,000円 A席 4,500円 B席 3,000円 学生B席 1,500円(24歳以下)
 ※未就学児の入場はご遠慮ください。

公演の詳細は、こちらをご覧ください。