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【チェリスト】ミッシャ・マイスキー


2018年9月7日(金)開催『アクト・プレミアム・シリーズ2018』 出演
【チェリスト】ミッシャ・マイスキー インタビュー

日本に何度も訪れ、多くのファンに愛されている20世紀最高の巨匠チェリスト、ミッシャ・マイスキーさん。今年9月にアクト・プレミアム・シリーズで16年ぶりに浜松に登場します。長い演奏家人生の中で、様々な音楽家と共演、数々の名演を生み出してきたマイスキーさんにお話を伺うことができました。

初来日から30年、印象に残っている都市やお好きな場所はありますか?

ⒸHideki Shiozawa

 驚くことに、日本にはもう50回近く来ていますが、毎回とても楽しみにしています。東京、名古屋、大阪などの大都市はもちろん、地方に足をのばして日本の伝統的な家並みや日本庭園を見ることも大好きなので一ヵ所に絞ることは難しいです。ただ京都は何回訪れても素晴らしく、加えてアルゲリッチとライヴ録音を行っていますので、特別な場所であることには間違いありません。好んで訪れたいという点では他の場所も同じですね。

チェリストになろうと決めたのはいつ頃でしたか?

 私は音楽一家の末っ子として生まれました。姉はピアノを、そして兄はヴァイオリンを習っていましたが、私が7歳の時、母は私を音楽家でなく普通に育てようと普通校に入学させました。ところが8歳の時、自ら「チェロを習う」と皆に宣言したのです。なぜチェロなのか? といえば、たぶん兄弟でファミリー・トリオを結成したかったのだと思います。結局は実現しませんでしたが、この思いは自分の中で醸成され、遂に子供たちとのトリオとして演奏をお届けできることは万感の思いです。 

今回の浜松公演では、リリーさん、サーシャさんとのマイスキー・トリオですね。お子さんたちにはチェロよりピアノやヴァイオリンを薦めたそうですが、実現してみていかがですか?

ⒸBernard Rosenberg/DG

 とてもワクワクしています。私は総じて幸運な人間であり、チェロ奏者としてはロストロポーヴィチ、ピアティゴルスキーという2人の偉大な師との出会いを始めとして、大変恵まれていると思います。また、授かった6人の子供全員が音楽に関わり、楽器を演奏しているのも本当に幸せなことです。特に長女リリーとは多くの国でコンサートを行ってきました。今回、トリオ演奏という長年の夢が実現することをとても楽しみにしています。実は、将来下の子供の1人がヴィオラ奏者になってくれれば、ピアノ・カルテットができると密かに願っているのですが、目下のところはサッカーに夢中。あの年頃の私がそうだったようにね(笑)。

普段の練習で、習慣的にしていることはありますか?

演奏旅行やコンサートのプログラム準備等で毎日が大変慌ただしく、合間をぬって練習をしている状況です。ルーティン、あるいは何か特別な練習に固執することは特にありません。ただ、ひとつ言えるとすれば、チェロ練習以外に、飛行中や車・電車での移動中に音楽を聴いたり楽譜を見たりすることに多くの時間を割いている、ということでしょうか。自分の音楽に対する姿勢を絶えずリフレッシュし、柔軟かつ寛容でありたいのです。「1日1個のリンゴで医者知らず」という諺にたとえれば、理論的には好調をキープするための「1日1回のバッハ無伴奏チェロ曲練習」が私のルーティンだということでしょうが、なかなか思うようにはいきません。今後努力したいと思います。

今回のプログラムの見どころをおしえてください。

 今回のプログラムはとても多彩で、ソロ、デュオ、トリオによりバッハの無伴奏組曲、ショスタコーヴィチのチェロ・ソナタ、そしてチャイコフスキーの「ピアノ三重奏曲」を演奏します。特に「ピアノ三重奏曲」は、20年前に初めて演奏し、またアルゲリッチ、クレーメルと共に日本でライヴ録音したので大変思い入れがあります。以来、何人ものヴァイオリニストやピアニストと共演してきましたが、今回、日本で遂にリリーとサーシャとのトリオで演奏することになり、とても楽しみにしています。

今回演奏されるバッハ無伴奏組曲は、100回以上の演奏会と3回の録音をしていますね。時代の流れと共に変化は感じますか?

2017.05.04宮崎国際音楽祭より          ©K.Miura

 演奏するたびに深みが増し、絶えず変化もしています。これは私個人の意見ですが、ドイツ・グラモフォンでの最初のレコーディング(1985年)とそれから15年経った2回目のレコーディング(2000年)を比べると、時は15年も経つのに、音は15年若返っているのです! 子供たちや美しい妻に恵まれたこと、また音楽を続けてきたからでしょうか、45年前に国を離れて新たな人生をスタートさせたときよりも、今はもっと若々しいと感じています。ともかく2回目のレコーディングからもうすでに演奏方法は変化していて、今後も一層演奏に磨きをかけていきたいと思っています。

長い演奏家人生の中で特に印象に残っている演奏や共演者がいれば教えてください。

2017.05.04宮崎国際音楽祭より          ⒸK.Miura

 本当に大勢います。私は世界で最もラッキーなチェロ奏者で、これまで数多くの音楽家たちとの出会いに恵まれてきました。1969年に偉大なピアニスト、ラドゥ・ルプーと共演し、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ全曲& 変奏曲の最高の演奏ができたことは最も忘れ難い経験のひとつです。多くの素晴らしい音楽家たちの中で特定するのは難しいのですが、やはりマルタ・アルゲリッチは特別な存在ですね。定期的な共演やレコーディングを繰り返しながら、付き合いも早42年になります。指揮者といえば、レナード・バーンスタインと20回以上のコンサートと3回のレコーディングができました。音楽家であると同時に人間性も素晴らしく、彼との出会いに感謝しています。パブロ・カザルスとは彼が逝去する2 ヶ月前の1973年に演奏を聴いてもらう機会がありましたが、97歳になる手前ながらとても若々しい方だったのを覚えています。

音楽家において師の存在は重要であると思います。
マイスキーさんにとってロストロポーヴィチ、ピアティゴルスキー各氏はどのような存在ですか?

モスクワ音楽院でのロストロポーヴィチとの4年間、そしてたった4ヶ月でしたがピアティゴルスキーの指導を受けられたことは非常に貴重な経験でした。特にピアティゴルスキーとは、短期間でしたが大変集中的に指導してくださり、ロストロポーヴィチとの4年間より時間的にはむしろ長かったように感じています(ロストロポーヴィチは非常に多忙でしたから)。 もちろん、2人の巨匠は素晴らしい人格者ですので、どちらが良いかという比較ではありませんが、私にとってはピアティゴルスキーとの4ヶ月は「人生最良のとき」だったと思います。私自身も新生活をスタートさせたばかりのエネルギッシュでより志の高い学生でした。しかし残念なことに、先生の病状はこの時期、すでに思わしくなく(ご自身もわかっていました)、先生自身も、自分のとてつもない人生経験を、乾いたスポンジが一気に水を吸うがごとく何でも吸収しようとする私のような人物と分かち合える最後のチャンスだと感じていたのです。先生はロシア語を話すのが好きで、会話は常にロシア語でした。そんな理由で、先生との4か月間は非常に濃密で私の人生において忘れられない時間となったのです。もちろん音楽院でのロストロポーヴィチとの4年間も同様です。言うまでもなく、2人との関係は、子弟を超えて親密、強固、そして特別なものでした。ロストロポーヴィチとの出会いは、実父が他界して間もない頃だったので、私の第1の人生(ソ連時代)の2番目の父親のような存在であり、ピアティゴルスキーは第2の人生 (イスラエルに移った後) の2番目の父親のような存在でした。2人との関係は、私にとって音楽家としてばかりでなく人間として成長する上で非常に重要なものでした。
<参考>
■1966年 モスクワ音楽院でロストロポーヴィチのクラスに入り、以後4年間指導を受ける。
■1974年 カリフォルニアに住む晩年のピアティゴルスキーの自宅で約4ヶ月間、生活しながら指導を受けた。

社会の動きに翻弄され、完全に音楽と向き合えない苦しい時期も過ごされました。そのような時期こそ音楽が救いとなる場合もあると思います。現代社会における音楽の役割についてどのように思われますか?

 チェロも持てない、ましてや弾けない苛酷な2年間でしたが、音楽がいつも自分と共にあり本当に救われました。音楽は、異なる背景や伝統、文化そして言語を超え、お互いを理解するための「世界言語」であると信じています。違いを恐れずに互いの違いを認識し、共通性を見出し、また違いの中から積極的に何かを学びとるための手助けができるのが音楽だと思います。困ったことに、人は戦争を起こし、人を殺めます。これは、互いの違いを受入れ、自分を高めるのではなく、異なる目的、宗教、イデオロギーが招く結果です。音楽は確実に人々を結びつける役割を果たすことができるのです。

音楽家以外の人生を考えたことはありますか?
また、その職業は何でしょうか?

ⒸBernard Rosenberg/DG

 5歳の頃はパイロットになりたいと思っていたのです。変な理由ですが、当時のソ連では「パイロットはチョコレートをタダで貰える職業」でしたから・・・無邪気なものですね(笑)。私は何でもやってみたいと思う性格ですが、正直なところ、やはり音楽家になることしか考えていなかったと思います。

これからの夢や目標などについてお話しください。

 仕事でも私生活でも、夢や目的は沢山あります。人生で一番の望みといえば、「To live very long, but die young.
To stayyoung in spirit(精神若くして命永らえる)」、つまり柔軟かつ寛容な精神を保ちながら若々しく長生きしたいということです。

最後に、16年ぶりとなる浜松のファンの方にメッセージをお願いします。

ⒸBernard Rosenberg/DG

 浜松で、私の子供たちとの演奏を皆様に聞いていただけることを心から楽しみにしております。
今回は50回目の来日であり、私にとって特別な記念すべきツアーです。今回の選り抜きのプログラムを心ゆくまでお楽しみください。どうもありがとう。
 
協力/株式会社AMATI

アクト・プレミアム・シリーズ2018 ~世界の名演奏家たち~Vol.8
ミッシャ・マイスキー〈チェロ〉

世界を代表する20世紀最高の巨匠チェリスト、
16年ぶりに浜松へ登場!


2018年9月7日(金) 19:00開演 
●アクトシティ浜松 中ホール
●入場料(全席指定)
 S席 8,500円
 A席 7,000円
 B席 5,500円
 学生B席 2,500円(24歳以下)


公演の詳細は、こちらをご覧ください。