~時の向こう側を聴く
宇宙が誕生する以前の、眼もくらむ「時」の向こう側、無の世界にも「時」はあった。
人にも他の生物にも、時の移ろいは大事だ。瞬間が集まり時間となり季節となる感覚を磨くことは、生き残るため不可欠だったから。
なのに、これまで人類の誰一人として「時とは何か?」に答えを見い出した賢者はいない。アインシュタインだって、「時の正体が解かった!」とは言っていない。
うろ覚えで言うのだが、確か丸谷才一さんの随筆で読んだ話。散歩中、思わぬ道草をした詩人が、何時だろうか気になった。人に会う約束がある。詩人は道行く人に時刻を訊く…いや訊くつもりだった。しかし詩人は歩きつつ高邁な思索に耽っていた。世俗の単語が出て来ない。彼は「What time is it?」と訊くべきところを、「At time, What is it?」と訊いてしまった。
訊かれたほうは、しばし呆気にとられ、次に泣きそうな顔で「な、なんで私に、そんな難しいことを訊くんですか?」と言い残して、逃げるように駆け去ったという。
無理もない。いきなり道端で「ちょっと済みません。時とは何でしょう?」と訊かれたら、逃げるか(54%)、笑ってごまかすか(32%)、無言で立ち去るか(14%)だろう(筆者調べ)。
人類に身近な「時」、誰もが与えられる「時」は、しかし大切だけれど得体の知れない面妖な宝物として扱われてきた。いや、ひょっとすると「時」は人類の築いた社会で、最大最高の支配者だ。神か魔王だ。誰もこの厳粛な神に逆らえない。人生、すべて神か魔王の手のひらが舞台だ。生まれて、生きて、去りゆく。
こんど新しく、あなたに届く歌劇は、「時」に独自の戦いを挑んだ手塚治虫さん、入魂の名作『ブラック・ジャック』から3作を選んでオペラ化した。若き日の人気と栄光と美貌を取り戻す執念に憑りつかれた老女優が挑む時との戦いが第1章「87歳の挑戦」。ぶっきらぼうで未消化な恋を、相手の体内の一部になり、同じ「時」を刻む事で完結する第2章「お前のなかの俺」。長寿社会の「時」と「命」の対立、その和解を見詰める第3章「母と子のカノン」。どの役柄の誰よりスターは「時」だ。
幕が降りる時、あなたの胸の鼓動が「時」を刻む音に聴こえはしないか。それは「音」「ことば」「命」が奏でる、「時」の3部作だ。
誰もが永遠の人生、不老長寿に憧れる。しかも、ただ長く生きるのでなく、より良く、より美しく、より華やかであって、そのうえで、より長く生きることへ憧れる。
それが憧れであるあいだは、いい。不老長寿は現時点では不可能だ。憧れるだけ。しかし憧れが、もし執念となり、時への挑戦となったとき、人はどんな永遠を手に入れるのか…。
アメリカ往年のアイドル女優で歌手だったベティ・アンダーソンは、決して裕福ではない家庭に育ち、しかし僅かなチャンスを見事に活かし、全アメリカの恋人とまで呼ばれる大スターの座に就いた。
それから60数年。現在87歳のベティは家政婦マリーと穏やかに余生を楽しんでいる。そこへ波紋をたてに来たのは、代理店の一行3人組。調子良く淀みなく喋りまくる。誰も知る「昔の有名スター」ベティを、デジタル時代に遅れてきた3枚目「うちのグラン・マ」として話題作りしつつ、じつはこちらが本命の若いアイドルと組ませる。時機を見て若い本命に焦点を絞り、ベティは使い捨て、という筋書き。その世界に長いだけに、ベティはそれを独自の勘で察知、代理店を追い返す。しかし、そのことが眠っていたベティの「舞台と照明とカメラ」への郷愁に火をつける。炎は次第にメラメラと身を焦がす。彼女は想う。
「たった1日でもいい。もう一度、あの頃の若さと肌と、美貌を取り戻せたら。その場で死んだっていいわ。私はアメリカの頂点に輝いた女優よ歌手よ。私を唯の老人としか見ていない新聞配達の少年、私は美しかったのよ」
いつか聴いた奇蹟の医師ブラック・ジャックなら、自分の願いを叶えてくれるかもしれない。行こう彼の国へ。ベティは来日して、ピストル自殺を決行する命懸けの嘆願で、ブラック・ジャックに手術を承諾させる。若い皮膚を移植され、見事に20代の自分に戻ったベティは、見知らぬ東京の街を、幸福感に包まれて眺め、そして空港へ向かう。「アメリカ。誰もが私を知ってる国。若い私を知っている国。アメリカへ、帰る。100%若い時のままの姿で。みんな、待ってて。ベティが帰ってきたのよ」ベティの2度目のデビューの幕は…。
人と人が愛しあうことは、互いの「時」を重ね合うことだ。
その日そのときまで、別の時間を生きてきた2人が、ある日ある時から、それぞれの時間の、かなりな部分を重ねて生きてゆく。その重なり合いの自然さは穏やかな日常に繋がり、重なりが火花を生むなら、それは刺戟ある日常となる。いずれを選ぶかは、その恋愛のかたち次第だ。
彩香は名門女学園に通う17歳。人目を惹く派手さはないが、知的な美少女。クラスでは目立たないほうだが、慌てず騒がず沈着生成にものごとを判断して処理できる、大人の思慮がある。裕福な環境落ち着きのある態度、子供じみた仲間に入らない、そうした特質が却って、名門女学園の落ちこぼれグループの反感を買い、いわゆるイジメに遭っている。ただ、彩香はそれほどにダメージを受けていない。むしろイジメている側を憐れんでいるところがあるのだ。それがまた、イジメ・グループにとって癇に障るのだが。しかし彩香を打ちのめすのは、ほかにあった。青春真っ盛りでの癌だった。
彩香に何かと付きまとっているのは界隈の不良グループのリーダーの渉。気性のサッパリした好青年のはずだが、どこかでグレて、日陰の連中と付き合うことになり、やがて首領格に持ち上げられた。彩香の癌を知って渉は、奇蹟の手術屋ブラック・ジャックを想う。リーダーの威風を吹かせ、界隈の商店から用心棒じみた謝礼を巻き上げてブラック・ジャックに逢う。しかし要求額の桁が違っていた。渉は、衝動的に銀行を襲う。「俺ぁ余分な金まで欲しくない。彩香を救う手術代だけあればいい」
大銀行を襲うにしては軽微な装備で犯行に成功した渉は、その金を持ってブラック・ジャックを訪ねるのだが、その渉を待っていたのは…。
新緑や新芽が萌える活気の原動力は、春の陽射しや梅雨の恵みの水でもない。
過ぎた「時」の向こうに、枯れ落ちた1世代前の芽や葉や実があるのは、誰にでも想像がつく。彼らは、姿を消したのでも死んだのでもない。新しい世代のため、枯れ落ちるという手段で、豊かな栄養源を地上に準備したのだ。確かに命は受け継がれ、滅びない。
邦子の夫だった男は、競馬から競輪、パチンコに賭けマージャンと、賭博にすぐ手を出し異様にだらしなく、借金を繰り返しては、借りた金をまたもや博奕で返そうとして泥沼に堕ちて行く男だった。他にも呆れるほど気味の悪い癖を持っていたが、結婚するまでは化けの皮で隠していたらしい。乳飲み子を抱えていても構わず昼も夜も賭博遊興だった。起きるべくして起きたある事件で、邦子は男を見限った。離婚。
その後の日々は、生活費との闘い。そんなとき、幼い猪一が初めて聞く名前の病気と診断された。余命幾ばくもないと。神仏に願を掛けた。その行き帰りの道で聞いた噂が、六法寺医師。どの医者が診ても寺へ送るしかない患者を、嘘のように治してしまう名医だと。ただし法外な謝礼を要求する。六法寺はブラック・ジャックの師匠だという。邦子に戸惑う余裕は、なかった。猪一の命が助かるなら、利子だけでも一生続く怪しげな金融で借りてもいい。ところが六法寺は金の亡者ではなかった。誇り高いだけだった。無利子で金を貸そうという。それは貸すのでなく、しばし立て替えてくれるのと同じだ。邦子は六法寺が神に見えた。猪一は、助かった。何も知らず、すくすく育ってくれた。邦子は生活費と、六法寺が立て替えてくれた、しかし法外な治療費のため、徹夜のビル掃除も危険な作業も何でもした。物価も変わり、返す金額も少ずつ楽になった。世話になった六法寺が他界したとき、六法寺夫人が口にした言葉に、邦子は噴き上げてくる怒りを隠せなかった。それは…。