バ ン ド 維 新

A R C H I V E

過去の開催記録

2010.3.13 Sat - 2010.3.14 Sun

バンド維新2010

写真

写真

バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010
バンド維新2010

INTRODUCTION作品紹介

Fanfare Rhythmic

[ 演奏 ] 浜松市立江南中学校

[ 作品解説 ]

短いファンファーレ的な作品です。この曲の特徴は、管楽器群のファンファーレ的な響きに、もうひとつの音楽的要素として、常にパーカッションの細かい周期のリズムが寄り添っていることでしょうか。
冒頭はマーチングしても良いのですが、より速めの攻撃的なテンポが良いと思います。パーカッションのリズムのフレーズは八分音符で数えると5・5・5・ 7・5・5・3・5に分かれますが4/4拍子にはめ込まれています。一方、管楽器群は四分音符ばかりですが各休符の次の四分音符が、新しいフレーズの頭になっています。つまり、4/4拍子のなかで2種類の変拍子が並行して進むわけです。
ファンファーレは何故輝かしいのでしょう?もちろんトランペットやシンバルの華麗な音色の効果があるでしょうが、もうひとつ、マルカート・テヌート・ソステヌートといった「響きのかたち」の問題も大きいのではないでしょうか? この曲にはスラーのない四分音符が沢山出てきますが、音のたちあがりを明瞭に、長めに響かせて、次の音符と繋がらないように余韻で分ける・・・いずれにしろ一人ひとりが、輝かしく立派な四分音符を意識してみて欲しい。Gからの速いテンポで、この意識の本領が発揮されます。
ところで、合奏の楽しさはどこから来るのでしょう? それは、それぞれ(一人ひとり)の楽器の個性のぶつかり合いから来ると思います。隣の人と違うことをやりながら、お互いに喜んで溶け合う・・・これが楽しいのだと思います。小編成の合奏の楽しさは、まさにそのことから来るのだと思います。
いろいろな楽器が組み合わされているのも、それぞれが個性を発揮しながら、そのうえで協調・融和を楽しむためだとすれば、なんと素晴らしいことでしょう!

交響詩
 ジャングル大帝
~白いライオンの
物語~

[ 演奏 ] 浜松市立与進中学校

[ 作品解説 ]

舞台は広大なアフリカのジャングル。ここの王である白いライオンのパンジャは、動物狩りにやって来る人間たちと戦っていた。ある日妻エライザが罠にかかり捕らえられてしまう。パンジャは勇敢にも助けにいくが、自らが命を落とすことに。一方エライザは動物園に売られるため船に乗せられ、そこでパンジャの子レオを出産した。ある夜、船を嵐が襲う。沈みかけた船の中で、エライザはパンジャの思い出を語る。まだ檻から抜けられるほど小さいレオに、一人でアフリカへ戻るよう促したかったのだ。母から偉大なジャングル大帝であった父の話を聞いたレオは、その夜船から脱出しまだ見ぬ故郷アフリカへと泳ぎ出す。
交響詩「ジャングル大帝」は、1965~66年にかけて放映されたテレビアニメ「ジャングル大帝」(第一話)が元になっている。オリジナルはオーケストラ作品で、当時の文部省指導要領を踏まえ、子供たちがオーケストラの楽器について学ぶための教材として作曲された。1966年に発表され、2009年、再び作曲者自身の手によって書き直されている。
本作品は、主要な5つのシーンを軸として原曲に忠実に構成されている。第1主題である跳躍の音型(6)は、アフリカの広大な大地を連想させる。続く第2主題(14)の背景では、パーカッションによるアフリカ起源のリズムが奏でられていく。全体を通して最も印象的なのは、ホルンによるグリッサンドの音型だ。これはパンジャの威厳を表しており、曲中何度も登場することから、その存在がいかに大きいものであるかが伺える。
それとは対照的に出てくるのが、テナーサクソフォン(原曲はチェロ)の独奏である。これはエライザのテーマで、母親としての愛に満ちあふれた優しさが表現されている。レオのテーマは、パンジャと同じくホルンで奏でられる。曲中最初に出てくるのはパンジャが「生まれてくる子どもに、レオと名づけてくれ」と言い残して死ぬシーン(94)で、レオが誕生してからアフリカの地を目指すまで繰り返し変奏される。幼いながらもジャングルを目指して海を渡ろうとする、レオの果敢な勇気が表現されていると言えるだろう。

SIMOON

[ 演奏 ] 浜松市立高等学校

[ 作品解説 ]

Simoom シムーンはアラビア半島や北アフリカの砂漠に吹く砂嵐です。6月から8月にかけて起こり、温度は54℃を越え湿度は10%を切るとか。竜巻のようになって人間や動物を窒息させるほどなので別名を「毒の風」と言います。曲は、そのような熱風をイメージしてアラブ音楽風の旋律とリズムで構成されています。ただし、実在するアラブ音楽の音階構造(maqam マカーム)、リズム構造(iqa イーカー)を用いているわけではなく、アラブ音楽奏者との共演を経て私のなかに育ってきた想像の産物です。
基本的なリズムは11/8拍子ですが、4/4+3/8→3/4+3/8+1/4→2/4+3/8+2/4
→1/4+3/8+3/4→3/8+4/4
→1/4+3/8+3/4→2/4+3/8+2/4→3/4+3/8+1/4というように3/8が規則的に浮動します。また和音は随所で上部と下部がふたつの異なる和音を積み重ねた形になっています。たとえば上部=Emajor7、下部=Db+、というような。つまりこの曲は演奏者にとっても聴き手にとっても耳慣れないサウンドとリズムをもつ相当毒性の強い「偏屈」なものなのだろうと思われます。
今まで食べたことのない強烈なスパイスを使ったエスニック料理みたいなものでしょうか。嫌いな人は顔をそむけたくなるかも知れませんが、一度好きになったら毎日でも食べたい、もっと刺激が欲しい、と病み付きになっても作曲者の関知するところではありません。
最後のE-3という部分は、もし演奏者が望み、スタミナが許せば何度でも繰返して下さい。そのうち砂丘の彼方からアラブの軍勢が鼓笛隊を先頭に粛々と迫ってくる光景が立ち現われる……かも。

ピカソくんの
ファンファーレと
マーチ

[ 演奏 ] 浜松市立篠原中学校

[ 作品解説 ]

新しい手法で、しかし誰にでも理解できる作品をたくさん残した大芸術家、パブロ・ピカソ(1881~1973)をたたえるファンファーレとマーチです。
2006年に、加藤直さんの台本による『樹の奇・危・嬉~ピカソくんとうたおう』という、合唱のためのシアターピースを作りました。ピカソや、その周辺の芸術家たち(ダリ、ロルカ、アポリネールなど)へのオマージュを老人と樹の対話を通して演じながら語りつつ、歌や音楽についてさまざまな角度から考えてみようという作品ですが、初演の直後に、そのテーマと音楽的な素材との両方を使って、さらに『ピカソくんをたたえて』というピアノ組曲も作りました。ウィンド・アンサンブルのための『ピカソくんのファンファーレとマーチ』は、そのピアノ組曲の第1曲目のファンファーレを拡大したものが原型となっています。
ちょうど世紀の変わり目とともに活動を開始したピカソの、古い因習やアカデミズムを打ち破って生み出された作品の数々には、新しい時代を切り開こうとする彼の意気込みと勝利を感じます。「ピカソくん」というタイトルは、大芸術家ピカソを崇めるだけではなく、親しく付き合いながら、その作品と生きざまの両方からたくさんのことを学びたい、という気持ちから来ています。

ソングズ
 ウインド・
アンサンブルの
ための

[ 演奏 ] 静岡県立浜松商業高等高校

[ 作品解説 ]

さまざまな方向からさまざまな異なった音楽が聴こえてくる、そんな音楽体験を目指した曲を、ここ数年書き続けています。『バンド維新』のために書き下ろしたこの《ソングズ》もそのような作品のひとつで、バンドのメンバーひとりひとりがソリストとなって、シンプルな旋律を(あるいはその断片を)自由に奏で、それらが立体的に重なり合うことをコンセプトとしています。これは奏者の個性を全体に埋没させて「ずれないように、はみ出さないように」合奏することを尊重しがちな、日本のアマチュア吹奏楽へのささやかな問題提起でもあります(もちろん、全員が終始ばらばらに演奏するわけではなく、一緒になる場面もたくさんあるのですが)。さまざまな「ソング」は、実際には静と動の2種類。いずれも冒頭のクラリネットの旋律を母体としています。これらの「ソング」が時に対比され、また時には重なり合いますが、最後まで完全に調和することはありません。
「ひとりひとりがソリスト」ですから、ひとつのパートをひとりずつ、合計24人で演奏されることを想定しています。バンドの事情により、指揮者の判断でメンバーを増員してもかまいませんが、各自が自由に演奏する部分がほとんどのパートにあるため、そのまま完全に音を重ねることは難しいでしょう。オプショナルのオーボエ、バスーン、ダブルベースを除けば、省略してよいパートもありません。この録音では、楽譜上の指示に従い、オプショナル・パートを他の楽器で代替しています。
奏者の自発性を要求し、また一部に特殊な記譜法が用いられているものの、技術的には、中学生、高校生にも容易に演奏できるレベルです。

ウィンド・
アンサンブルのため
のタブローI&II
I. P.H.への
オマージュ
II. 水のガムラン

[ 演奏 ] 安城学園高等学校

[ 作品解説 ]

吹奏楽! 多くの国で盛んで人気があり、合唱と並んで圧倒的な人数の多さで不動の地位を獲得しているジャンル。バンドという響きに何か親しみと温かさを感じた。聞けば吹奏楽曲を作る作曲家は比較的限られているそうで、それならやはり今までには無いタイプの曲を!と決めた。この曲は全く性格の違う2小品から成り、演奏順は前後のプログラミングにより自由。[P.H.へのオマージュ]は、変化し続ける拍子と対比の強い表情が特徴的。演奏者の内的な状態に意図的に働きかけ、集中力や運動能力を駆使させつつも自由で明るく力強い音楽を目指す。[水のガムラン]は、有名な金属や竹のガムランでなく、水という想像上の楽器をイメージしている。恐らくこれまでの吹奏楽曲の響きとは全く異なる。各パートは比較的抽象的な音の身振りが多く、よくよく聴くと意外なパートとの深い関係性を発見するだろう。また合奏の現場で初めて各自の役割を知ることになるだろう。先ずは自分の音に耳を澄ませ、次に近くの音、そして全体へと、聴覚の遠近法をフル稼働させ、音にしかできない縦横自在な音空間を目指している。
バンド維新は、若い世代による演奏を視野にいれているということで、特にその全身に漲るエネルギーと集中力を最大限に活性化したい! と願った。このCD収録にあたっては、とても澄んで清涼な音を聴き、心に残る時間を過ごした。音はその人を正直に顕すと改めて感じた。楽隊の皆様と同時に、力強く支えて下さった全ての方々に感謝しています。

エピソード ファイブ
~ウインド・
アンサンブルの
ための~

[ 演奏 ] 静岡県立浜北西高等学校

[ 作品解説 ]

曲タイトルにある「Five」は、もちろん5拍子のことである。5拍子と聞いて感じるものは人それぞれだと思うが、いかがだろう、なんとなく取っ付きにくいような・・・。私自身も中学の頃から吹奏楽にどっぷり浸かって、クラリネットを吹いていたのだが、正直申し上げて5拍子に遭遇すると、ちょっと避けたくなる思いがしたように記憶している。とはいえ5拍子の曲にもチャイコフスキーの交響曲第6番ロ短調「悲愴」の第2楽章であったり、映画「ミッション・インポッシブル」のテーマであったり、ジャズの定番「テイク・ファイブ」など、非常になじみのあるものも存在する。しかしながら4拍子や3拍子に比べればそれほど多くはないだろう。そんなこともあり、5拍子というものをもっと身近に感じ、なにか面白いものを、と思ったのが作曲のきっかけである。5拍子であることを除けば、いたってシンプルな楽曲なので、あえて言えば逆に5拍子であることを忘れるぐらい楽しく、そして爽快に演奏していただければうれしく思う。
また今回の楽器編成は、いわゆる小編成の部類に入るだろう。小編成ならではの繊細なサウンドも大変魅力的だが、大編成の楽曲にあるような迫力ある大胆なサウンドも、やはり吹奏楽ならではだと思っている。私は今作を書くにあたって、小編成でありながらアンサンブルとして、大編成にもある吹奏楽らしいサウンドと作風を心掛けたつもりである。(ここで言う「吹奏楽らしい」とは、筆者の体験や好みもかなり含まれているのであしからず。)ただし演奏団体によっては、各パートの人数はまちまちだろうから、演奏バランスは考えて演奏していただきたいところでもある。また、スコアにはオプションパートも書いてあり、大編成の団体でももちろん演奏可能なので、より多くの団体に演奏していただきたいと思っている。
私自身、吹奏楽の体験により、多くの音楽や人と出会えたことは、人生において非常に大きな宝物になっている。そういうことでは、この「バンド維新」によって、あるいはこの曲によっても、また新たな出会いや体験が多く生まれることだろう。おそらく「5拍子」について語られることもあるだろうし、吹奏楽そのものに想いを馳せる人もいることでしょう。様々に綴っていただきたいものである。これがタイトルの「エピソード」たる所以である。

“In Shangri-la”
for wind ensemble

[ 演奏 ] 浜松海の星高等学校

[ 作品解説 ]

『シャングリ・ラ』とは、桃源郷を意味するサンスクリット語で、中央アジアで語られる理想郷を指します。その様子は詩人・陶淵明の『桃花源記』に描かれており、この作品は、その物語に沿って作曲しています。
概容は、――武陵(湖南省)に漁業を営む男がいた(冒頭~a)。ある時道に迷い、舟で小川を下ると(b~c)、突然桃林に辿り着く(d)。そこは、秦の乱を避けた者の子孫が世の変遷を知らずに、平和な生活を営む仙境だった(e)。男が世の中の事を話して聞かせると(f)、村人達は大そう驚き、篤い歓待を受ける(g)。彼らは皆それぞれ、男を自宅へ招きもてなした(h)。数日後、男はそろそろ帰らなくては、と暇乞いをする(i)。元来た道を帰る途中、所々に印を付けておいた(j)。故郷へ帰るなり郡の行政長官を訪ね、見て来た事を話す(k)。すると行政長官はすぐに人を送り、その場所を探そうとしたが、二度と見付けられなかった(l)。というものです。