Series No.121 佐藤 晴真

2019年12月1日に行われたアフタートークの様子をご紹介します。

Q.楽器をはじめたきっかけと、魅力を教えて下さい。

佐藤:始めたきっかけは、3つ上の兄が友達の影響でヴァイオリンを始めていました。
その兄と、兄の通っている教室の発表会に行った時に、ゲスト出演されているチェリストの方の演奏を聴いて、兄弟同時に心を奪われました。
寡黙な兄が、泣いてチェロをやりたいと懇願したので、「まあそんなに言うなら」ということで、兄が先にチェロを、僕はお下がりみたいな感じでヴァイオリンを始めました。それが、僕が4歳半の時でした。
僕はヴァイオリンを練習して、兄がチェロを練習し、1年ぐらい続け、上達してきました。その兄の演奏を家族みんなで、「やっぱりチェロいいなー」とチェロ嗜好の家族になりました。
僕は兄のチェロを横目で見ながら僕はいつチェロに変われるんだとずっと言っていました。
流石にもういいだろうということで一年半後6歳の時にチェロに転向しました。
だから元々音楽始めたきっかけはチェロの演奏を聴いてです。
チェロの魅力は、よく人の声に近いことは言われていますが、まあ人の声に近いといっても人によるだろう。と。
ただ僕の場合は(聞きいただいて分かる通り)声が低い人間でして、ちょうどチェロの一番低い音が、僕の一番低い声ぐらいのバッチリの相性です。だから僕自身としてはその音域はとても親近感がわく楽器だなとは思いますね。
演奏者と楽器との距離もやっぱりどの楽器よりも近いっていうことは、心情を音楽で表現しやすい楽器ないんじゃないかなと個人的には思っています。


薗田:佐藤くんがこんなにしっかりお話されたあとに私が話すのは腰が引けますが……
私がピアノをやり始めたきっかけですが。
母が小さい頃からピアノをやっていて、私が生まれた時からピアノが家にありました。
赤ちゃんの時からピアノの前にいつも母と一緒に座って、ポロンポロンとやるのが、日課で、すごく好きだったようです。幼稚園の頃はいつも気に入った男の子の横で一緒にオルガンをずっと弾き続けておりました。
その頃たまたま同じ帰り道の友人のお母さんがピアノの先生で、4歳から自然にピアノをはじめました。
母は私に子供のためのコンサートに連れて行ってくれたんですけれど、いつも最初から最後まで、静かに聴いていたそうです。
ピアノをやり始めたらピアニストになるもんだ。と何故か思いながらずっとやり続けいたので、辞めようと思ったことも一度もなかったです。
ピアノって一台でソロを弾ける楽器なんですけれども、私の場合はアンサンブルが本当に好きで昔から人と一緒に音楽をすることが本当に好きでした。
ですので、アンサンブルのピアノの魅力ということをお話ししたいです。
ピアニストは小さい頃から、一人で練習して、一人でコンサート会場に行き、一人で本番をこなし、一人で打ち上げをする笑。
そういう悲しい宿命を持っている楽器なんです。
私の場合は高校生の時に友人のヴァイオリンの女の子から「今度モーツァルトのヴァイオリン協奏曲を弾くんだけど、伴奏者を探してるから是非やってくれないか」と言われて、周りのピアノ課の子は「ヴァイオリンのために自分の時間を割くなんて、そんなもったいないことはできない」と言ったんですけども、私の場合はちょっとやってみようかなと思って、それがきっかけで、人と一緒に演奏することを始めました。
一度舞台で、誰かと一緒に音楽を作って、『舞台での会話』ですね。そういうもの楽しんで、舞台でまた新しいアイディアが浮かんで、それを試したり、送ったものに対して、リアクションが帰ってきたり、そういう経験はやっぱりソロではできなかったことです。それから私はアンサンブルの魅力にハマってしまって今に至っております。
なので本日は佐藤君とこうやって舞台の上でいろいろな会話を音楽的な会話をできることは本当に幸せなことだと思っております。

Q.ドイツに勉強に行かれていて、日本との違いで驚いたことなどはありますか。

佐藤:ドイツ留学して3年半強が経ちます。最近気づいたのですが、日本に帰ってくるたびに、情報量の多さに驚きます。言ってしまえば単純な話ですが、電車に吊るされている広告の量や、道の狭さ、あとは建物の高さから来る空が見える範囲とか。
人柄もありますが、やっぱりドイツは、生活に余裕があると言うか時間の流れがゆっくりです。電車に乗っても広告なんて一車両に四つぐらいしかないですし、それ大丈夫なのかっていう感じもありますけども。建物もベルリンにはビル街みたいなのは少ないですし、道も広いですし、道には必ず街路樹があって緑もありますし、そういう面でドイツ(に限らず多分ヨーロッパはおそらくそうなんですけども、)は生活の中で音楽が生まれる余裕があると言うか。
やっぱり日本に帰ってくると時間にどうしても追われてしまったり、そういう忙しさがあるんですけども、ドイツは自然と日本と違うことを考えられる頭ができるので、それは一番違うところなのかなとは思います。



薗田:私は音楽大学で仕事をしているんですけれども、大学での先生と学生の関係が日本よりももっとイーブンと言いますか、、、もちろん先生と学生という、立場はあるのですが、レッスンの中でも学生がこう弾いて、先生が『こうしたらどうなの、君はどう思うの』と、そしたら学生が『僕はこういう風に演奏したいから、 こういう風に持っていきたい』と。常に対等で、言ってみれば音楽仲間として、対等な関係でレッスンも進むというのが、一番違うんじゃないかと思います。
それから職場で働く人間にとっても、ドイツ、多分ヨーロッパ全体でそうだと思うんですけれども、家族をとても大事にする文化なので、例えば私は今回11月末に父親の誕生日がありまして、『せっかくの12月1日にコンサートがあるなら、出来れば一週間前に帰って、家族と一緒に父の誕生日を祝いたい』と言ったら、それは家族のことで一番大事なことだから、ぜひ帰りなさいとどの同僚にも快く言われて、帰ってきました。
そういうのはもしかしたらなかなか日本では難しいことなんではないかなと思います。



Q.今回歌曲をレパートリーに多く挙げられていますね。なにか理由がありますか。

佐藤:東京で習っていた師匠が二人おりまして、山崎伸子先生と中木健二先生なのですが、お二人とも歌曲をプログラムまたはアンコールに取り入れられることが多いです。
最初のきっかけはそこだったんですけども、個人的にチェロは人の声部というか、僕の声部に近いので楽器を通して自分の歌心を表現できないかと思って、歌曲を色々調べだしました。
これはできそうで、これはできそうじゃないとか、歌曲は歌詞がありますから、歌詞なしでもその面白みが伝えられる作品をレパートリーに入れ、今後も取り上げていきたいなとは思っています。


Q.似たような質問と言いますか、休憩時に頂いているもので、『ミュンヘンの国際コンクールの本選何を弾かれましたか?』と頂いていますが、これはショスタコの協奏曲2番を演奏されていましたよね。それでは選ばれた理由を同じくお答えいただけますでしょうか。

佐藤:コンクールを見ていただいてありがとうございます。
まずミュンヘン国際音楽コンクールはどの部門でも言われていることなのですが、ファイナルラウンドの課題曲がえげつないと言う噂が流れていました。要項を見たらそれは本当で、4つ課題曲が、①エルガーのチェロ協奏曲②シューマンのチェロ協奏曲、ここからえげつなくなくなりまして、③マルティヌーの協奏曲第2番④ショスタコーヴィチの2番でした。
ここ4.5年ですかねやっぱりショスタコーヴィチの1番を演奏する人が多かったので、この流れで2番というのを見て、ちょっと挑戦してみたいなと言う好奇心が勝りまして選びました。
動機はこういう理由からでしたが、勉強してみると大変に素晴らしい作品というのを、深く理解しまして、最終的にあの場で弾けることは本当に嬉しいことでした。


Q.逆に佐藤さんはピアノのどこが好きですか。薗田さんはチェロのどこが好きですか。

佐藤:やっぱり、同時にいろんな音が出せて羨ましいと思います。
ピアノは指の数だけ音が出ますし、後作品の数が圧倒的に多いので、いろんな時代、国、いろんな作品に触れられるというところが一番羨ましいところです。
上手な方の音色は、大変なめらかな音でそういう演奏に出会えた時には本当に幸せな気持ちになります。


薗田:チェロの魅力は佐藤さんがおっしゃっていましたけど、人の声に一番近いという楽器です。私はチェロの音だけは一日中聴いていても大丈夫です。個人的にピアノの音だと一日中は難しいです。チェロの音は温かくて、嘆き、喜び様々な感情が、チェロ一本で表現できる素敵な楽器だなと思っています。もし生まれ変わったら絶対チェロやりたいと思っております。
一緒に弾いている立場からいうと、チェリストはおおらかな方が多くて、アンサンブルもしやすいです。私はチェリストが大好きです。