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Series No.116 城 宏憲

Q.オペラの男性の主役は現代の感覚でいうとダメ男が多いように感じますが、そのような役を演じるとき呆れることはないですか?それとも役になりきってやりますか?

城:面白い質問だと思います。本日コンサートの中でもお話しましたが、オペラには大きく分けてブッファとセリアの形式があるのですが、僕自身のキャラクターは見ていただいた通り、両方できます(笑)。
ダメ男に関してですが、自分が舞台上でかっこよく演じていたいという欲求はないです。
その人物が、一生懸命に生きている姿を自分が表現したいと思っています。
例えばカルメンのドン・ホセは普通に勤務していたんですが、最後盗賊になってしまいますね・・・。でも嫌いじゃないです。
人にすがったり、お願いしたりして、ふられるってことに気持ちが入るというのは多分そういう過去があるからなんでしょうね。逆にカッコイイだけの役を求められているとき、物足りなさを感じます。罰が欲しいですね(笑)。
いい思いした後には苦い思いがあるんだと、もしくは逆にいい思いをしたいのならちゃんと努力や苦い思いをしろ!!って思いますので。
カッコイイだけの役って嫌ですね。ダメ男、結構嫌いじゃないです。


Q.中桐さんはそのような男性はいかがでしょうか?

中:オフィシャルな場なので音楽の話ということでお答えさせていただきます(笑)。
私もオペラはすごく好きで、歌もすごく好きです。特に城さんとご一緒するようになってたくさんのオペラ作品を演奏することが増えました。
でもダメ男って現実にも結構普通にいますよね。
オペラの中の話って特別で非現実的って思っていたのですが、でもよく考えるとこういう人いるよねってこと多いです。大袈裟に表現されるので、気づきにくいですが、日常にゴロゴロあるシチュエーションもたくさんあります。憎しみ・嫉妬というのは今を生きている私達にも普通に芽生える感情なので、オペラの中の男性がそこまで、ものすごくダメ男みたいには思わないですね。
ですので意外と特別な感情を込めずに弾いていますね。


Q.城さんのお髭はなにかの役のためですか?それともファッションですか?

城:これはですね・・・聞かれると思ってました(笑)。
プロフィール写真に髭がないのに今日この格好で来たら驚かれるだろうな、と分かっていました。この間までアイーダというオペラを代役で全国を回っていました。エジプト人の戦士の役でしたのでそのときに髭を生やしたんです。ただ、急に決まったことですので、短いままになってしまって、無精髭みたいになってしまいました…公演は終わりましたが、せっかくなので蓄えた状態でしばらくアイーダに浸りたいと思って伸ばしています。オペラを生活に引きずってしまう僕はダメ男かもしれませんね(笑)。


Q.マノン・レスコーの最後に「最高に甘い苦痛」と歌っておられましたよね。この「最高に甘い苦痛」の表現がオペラの楽しみの一番かなと思います。しかし、ある時期から作曲家たちがそのような感情を作曲したくないという時代がきてしまいましたね。
新作オペラを作っていくのが難しい時代だと思うのですが。オペラの未来についてどう思いますか。


城:質問にお答えするというよりは、僕の希望とさせていただきたいのですが・・・。
今現在に生きている時点でクラシック音楽全体を『クラシック』と突き放した言い方をしていますよね。その中で声楽と、オーケストラと、演出がついたオペラは総合芸術なんて言われていますけど、他にも世界中に総合芸術ってあると思います。でもそれをオペラとは呼ばないですよね。ではオペラを『オペラ』とどのように分類しているのか。僕はそれをとことん突き詰めてきたのですが、それは人間の身体の限界に挑むことだと思います。
マイクロフォンを使わずに、電子楽器を使わずにアコースティックの楽器で演奏する。そのためにオペラハウスや、響きのいいコンサートホールが必要だとするものですね。
舞台上で生の身体で、生の声で、生の言葉で、伝えているということをお客様に直接会場に来て楽しんでいただきたい。苦しんでいるのが、苦しんでいるように、甘い思いは、甘く思っている様に聞こえてほしいです。

音楽の専門的なお話だったので、そこに絡めて自分の希望を言いたいのですけど。
調がなくなっていってしまって、メロディックな曲がなくなってしまって、無調や電子楽器がでてきたりして、現在につながっていると思います。しかし、オペラ自体はなくならないと思います。シェイクスピアを読む人がいなくならないように、オペラを見る人がいなくならないで欲しいです。そういう風に願っています。どんな曲がこれから生まれるかというのは僕には分からないですけど・・・。
ただ1つ言えるのは、僕自身は歌い続けられる声と身体を目指しています。歌は運のいいことに60歳を超えても現役で舞台に立っている人がいます。そういう方々からなぜ長い時間舞台に立っていられるのか、そして長い期間立っていられるのか、勉強して、そういう境地に行ってみたいと思っています。
ですから声を無駄に酷使する曲は歌わないようにしています。クラシックの世界に居続けるのかもしれませんね。
これお答えになってますかね?


質問者:ありがとうございます。オペラは愛と死を描くのが醍醐味だと思うのですが、最近はそれが格好悪いと思う作曲家の人達もマジョリティな気がします。古典作品は多くあるので、聴衆として楽しみはたくさんあるのですが、やはり新作オペラを楽しみたい気持ちもあります。

城:僕も同じ大学の作曲科の友人もおりますし、作曲家に何人か知り合いがいますけど、人に慣れ親しんでいただけるのはメロディがある曲ですね。
オペラの未来について考えは尽きませんが、僕個人としては愛と死が好きです。
機会があったら新しい表現に試みてみたいと思いますよ。
ただそれ以上に僕が興味を持っているのは、演出ですね!演出がどんどん新しいものを取り込む時代になっていますので、もしかしたら映像であったり、立体に見えるものだったり、VRオペラなんてのもそのうち出てくるかもしれませんけど、そういった映像技術とのコラボレーションにも期待しております。



Q.日本の歌曲も歌われますか?

城:はい。歌いますよ。

質問者:その時にイタリアのものとの歌い方、特に声の出し方の違いを教えてください。

城:声の前に詞の話をさせてください。日本語だと古語だとしてもだいたいの意味がわかりますよね。荒城の月の「♫春高楼の」とかは漢字で書けばわかりやすいですよね。ただその曲の裏にあるベースを知らないと表現することが出来ません。
1~4節があって今日はその2節だけやるんだ。ということだとか、その裏側の言葉の成り立ちを知った上で歌の勉強をするので、実はイタリア語の曲も日本の歌曲も作業としては変わらないんですね。
曲の中に流れているドラマ。感情・情景・ドラマを想像して歌うという点では同じですね。

ただ声に関しては、イタリア語は明るいですね。なんでなのかはわかりませんが。
日本語に近い部分もあります。母音が同じアイウエオ(と後2つ、エとオのバリエーションがあるのですが)なので、カタカナで書こうと思えば書けてしまえる言語です。

日本語の方は、実は日本人の皆様が思っている以上にウェットで、喉の奥の方を使いますね。

このように発声技術のことを考え始めるとずっと考えてしまいます。
イタリアで習った技術を使い、そのまま日本語を歌うのではなく、イタリアで習った技術を応用して、日本語が日本語に聞こえるように歌うことを心がけています。
そうしないと、「♫春高楼(ふぁるくぉうるぉう)の」になってしまいますからね。「♫春高楼(はるこうろう)の」と歌うのが日本歌曲ですから。


Q.城さんと、中桐さんはコンビを組んでどのくらいになるんですか?

城:2012年の12月ぐらいからお願いしていますので、6年ぐらいですね。
のんちゃん。6年前はどういうふうにお願いしたんだっけ?


中:ちょうど城さん夫妻がイタリアに留学されていて、私はまだ東京藝術大学の院生だったんですけれど、帰ってこられてこれから日本で活動するにあたってお声がけいただきました。元々は大学の先輩後輩関係です。大学時代は一緒に演奏したことはなかったですが。

城:6年前2012年11月にちょうどここ浜松で彼女が華々しくデビュー(第8回浜松国際ピアノコンクールで2位入賞)したときにすぐ電話した男だと思ってください(笑)。
実は中桐さんは妹さんがいらっしゃいまして、声楽をやっているんです。だから彼女はよく歌に合わせた伴奏を数多くやってきたんですね。歌に合わせるというか一緒に歌っているような演奏で、歌いやすいんです。6年以上前に1回だけお仕事をお願いしたときがありました。そのときにやっぱりあの子はすごいという話になりまして、陰ながら応援していたんですけど・・・。そんな中浜松での入賞がありました。今から連絡を取っておかないと手の届かない人になってしまう!!と思いまして、そのときに声を掛けてこのオペラの世界に誘ってしまったわけです。

今日はこのコンビの6年間を祝福するような日になったと思います。ありがとうございました。

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