9月15日に開催される「アクト・ニューアーティスト・シリーズ2013」の第3弾、ギタリストの朴葵姫さんに留学先のウィーンでの経験談、ギターの魅力等について語っていただきました。
ギターの魅力はやっぱり音ですね。
――3歳からギターを始めたきっかけを教えてください。
母親が趣味でギターを習っていて、その時に1歳から5歳まで日本に住んでいたんですけど、ギター教室で母親が趣味でやっているときに、私は留守番が一人で出来ないから一緒に連れて行ってくれて、そこでいつもずっと待っていたんですね。でもある日、3歳半ぐらいになった時に、先生から「3歳半ぐらいだったらギターもサイズがあるから、やってみないか」って言われて、そこからギターを始めて、その時から覚えてはいないですが、すごく好きだったらしくて。ずっと手放さずに今まで弾いています。
――小さい頃はギター以外に何か楽器はやっていましたか?
5歳の時に韓国に戻って、6歳ぐらいからピアノをやり始めました。小学校5年生までやっていましたね。
――やはりギターなんですね?
そうですね。ヴァイオリンも半年ぐらいやってみたりしましたが、やはりギターですね。
――なぜ今続けているのがギターだったんですか?
今となって思うのは、やはりギターの音が好きでしたね。派手ではなく、私の性格もそんなに派手ではなく、ものすごいアピールするという子ではないので、あと、子どものときはもっと消極的でクラスでいるかいないかわからないような存在だったので、そういう性格にあっていたんじゃないかなって思っています。
――いつごろから本格的にギターを始めましたか?
中学にあがるちょっと前だったと思います。中学校に入るときに音楽を専門としている中学校に入りたいと思って、そこに入るために音楽の勉強をしました。でも、なりたいとか、きっかけっていうのは特になくて、ずっと自然に弾いていたので、ずっと弾いていくものだと思って。たぶんギタリストにあこがれ始めたのは、そのころからだと思います。それまでは、ギタリストの存在はあまり知らなかったかもしれないんですけど。いっぱいCDは聴いていたけど、あこがれっていうのはなかったです。そのころギタリストっていいなって思い始めました。
――だれか目標となるギタリストはいますか?
女性だと村治佳織さん。すごい素敵で、そのころまだ20代前半のころで。韓国では、大ヒットでした。韓国でデビューされた時、私は中学生でその時に佳織さんのコンサートを見に行って、さらにギタリストになろうという気持ちが高まりました。
母親が趣味でギターを習っていて、その時に1歳から5歳まで日本に住んでいたんですけど、ギター教室で母親が趣味でやっているときに、私は留守番が一人で出来ないから一緒に連れて行ってくれて、そこでいつもずっと待っていたんですね。でもある日、3歳半ぐらいになった時に、先生から「3歳半ぐらいだったらギターもサイズがあるから、やってみないか」って言われて、そこからギターを始めて、その時から覚えてはいないですが、すごく好きだったらしくて。ずっと手放さずに今まで弾いています。
――小さい頃はギター以外に何か楽器はやっていましたか?
5歳の時に韓国に戻って、6歳ぐらいからピアノをやり始めました。小学校5年生までやっていましたね。
――やはりギターなんですね?
そうですね。ヴァイオリンも半年ぐらいやってみたりしましたが、やはりギターですね。
――なぜ今続けているのがギターだったんですか?
今となって思うのは、やはりギターの音が好きでしたね。派手ではなく、私の性格もそんなに派手ではなく、ものすごいアピールするという子ではないので、あと、子どものときはもっと消極的でクラスでいるかいないかわからないような存在だったので、そういう性格にあっていたんじゃないかなって思っています。
――いつごろから本格的にギターを始めましたか?
中学にあがるちょっと前だったと思います。中学校に入るときに音楽を専門としている中学校に入りたいと思って、そこに入るために音楽の勉強をしました。でも、なりたいとか、きっかけっていうのは特になくて、ずっと自然に弾いていたので、ずっと弾いていくものだと思って。たぶんギタリストにあこがれ始めたのは、そのころからだと思います。それまでは、ギタリストの存在はあまり知らなかったかもしれないんですけど。いっぱいCDは聴いていたけど、あこがれっていうのはなかったです。そのころギタリストっていいなって思い始めました。
――だれか目標となるギタリストはいますか?
女性だと村治佳織さん。すごい素敵で、そのころまだ20代前半のころで。韓国では、大ヒットでした。韓国でデビューされた時、私は中学生でその時に佳織さんのコンサートを見に行って、さらにギタリストになろうという気持ちが高まりました。
――小さい時からいろんなコンクールに出場されていると思いますが、本番は緊張しますか?
ものすごく緊張します。私はすごく上がる方なので、かなり緊張しますね。
――本番に緊張しないために何か行っていることはありますか?
特にやっていることはなくて、以前は緊張すると手汗がすごくなるので、前日の夜までに水分を抑えて、演奏会またはコンクール当日の朝は一切水を飲まない。水分は取らない。という過酷なことをやっていました。今は克服をして、当日に水分を飲んでもそんなに手汗が出ないようになってきたのですが、その時はしんどかったですね。毎日予選・2次予選・本選と毎日続いたので、本当に大変で。本当は演奏する2、3時間前までと決めていたんですけど、それがどんどん長くなってしまって。そうしたら、本当に一切手汗が出なくなってしまいましたね、水分がないので。精神的なものもあるかもしれませんね。
――じゃあ、今日も?
今は、大丈夫です。コンクールで自分ですごく上がっているなと思ったときは飲まないですね。あと、いきなり緊張してしまうと一番最悪な演奏になってしまうので、本番直前だったり、ステージにあがった直後に緊張し始めると、本当にパニックになってしまうので。前日の夜とかに、自分をものすごく緊張させるようなマインドコントロールをして、前日からわざと緊張するようにしています。そうすると、意外と本番は大丈夫という時がありました。
――そうすると落ちつくのですか?
そうですね、落ち着くというか、緊張するのを当たり前に受け入れちゃっているから、もう大丈夫っていう風になりますね。でも一人でいるときに、前日にそこまで緊張するというのはなかなかできないので、本番を想像して、ものすごく集中してやります。そうすると、意外と本番は緊張してなかったり、緊張したとしても心の準備が出来ているから、そこまでは上がらないですね。
――今後もコンクールに出場されますか?
そうですね、まだ挑戦したいコンクールがいくつか残っているので。32歳までが制限なんですけども、30歳までは挑戦しようかなって思っています。ヨーロッパの人とかは年齢をあまり気にしないので、もうちょっと挑戦したいです。以前にコンクールをやりながらものすごい伸びたっていうことがあったので。なかなかコンサートでは経験できないようなこともコンクールではできますし、それをコンクールに出てしばらく時間が経つと、その感覚をまた忘れちゃうんですよ。その緊張感だったり、集中だったり、怖さだったり、そういうのがなくなってしまうので、そのために精神的に自分を追い込むためにも。練習の質も全然違うんですよ。コンクールとなると、クオリティが全然違ってくるので、そこでグンって伸びるので、コンクールに出るのはいいんじゃないかなって思います。みんなプロになるとコンクールはやめるとか、もう負けることが恥ずかしいという風に思うんですけど、私はそういうのはあまり思わないですね。落ちることもあれば、受かることもあると思うので。コンクールは本当に審査員の好みだったり、その日の運だったりするので、決して落ちることが恥ずかしいことではないので、これからも挑戦していきたいですね。
ものすごく緊張します。私はすごく上がる方なので、かなり緊張しますね。
――本番に緊張しないために何か行っていることはありますか?
特にやっていることはなくて、以前は緊張すると手汗がすごくなるので、前日の夜までに水分を抑えて、演奏会またはコンクール当日の朝は一切水を飲まない。水分は取らない。という過酷なことをやっていました。今は克服をして、当日に水分を飲んでもそんなに手汗が出ないようになってきたのですが、その時はしんどかったですね。毎日予選・2次予選・本選と毎日続いたので、本当に大変で。本当は演奏する2、3時間前までと決めていたんですけど、それがどんどん長くなってしまって。そうしたら、本当に一切手汗が出なくなってしまいましたね、水分がないので。精神的なものもあるかもしれませんね。
――じゃあ、今日も?
今は、大丈夫です。コンクールで自分ですごく上がっているなと思ったときは飲まないですね。あと、いきなり緊張してしまうと一番最悪な演奏になってしまうので、本番直前だったり、ステージにあがった直後に緊張し始めると、本当にパニックになってしまうので。前日の夜とかに、自分をものすごく緊張させるようなマインドコントロールをして、前日からわざと緊張するようにしています。そうすると、意外と本番は大丈夫という時がありました。
――そうすると落ちつくのですか?
そうですね、落ち着くというか、緊張するのを当たり前に受け入れちゃっているから、もう大丈夫っていう風になりますね。でも一人でいるときに、前日にそこまで緊張するというのはなかなかできないので、本番を想像して、ものすごく集中してやります。そうすると、意外と本番は緊張してなかったり、緊張したとしても心の準備が出来ているから、そこまでは上がらないですね。
――今後もコンクールに出場されますか?
そうですね、まだ挑戦したいコンクールがいくつか残っているので。32歳までが制限なんですけども、30歳までは挑戦しようかなって思っています。ヨーロッパの人とかは年齢をあまり気にしないので、もうちょっと挑戦したいです。以前にコンクールをやりながらものすごい伸びたっていうことがあったので。なかなかコンサートでは経験できないようなこともコンクールではできますし、それをコンクールに出てしばらく時間が経つと、その感覚をまた忘れちゃうんですよ。その緊張感だったり、集中だったり、怖さだったり、そういうのがなくなってしまうので、そのために精神的に自分を追い込むためにも。練習の質も全然違うんですよ。コンクールとなると、クオリティが全然違ってくるので、そこでグンって伸びるので、コンクールに出るのはいいんじゃないかなって思います。みんなプロになるとコンクールはやめるとか、もう負けることが恥ずかしいという風に思うんですけど、私はそういうのはあまり思わないですね。落ちることもあれば、受かることもあると思うので。コンクールは本当に審査員の好みだったり、その日の運だったりするので、決して落ちることが恥ずかしいことではないので、これからも挑戦していきたいですね。
――2004年に東京音大に入学され、その2年後にはウィーン国立音楽大学に留学されていますが、どういう経緯でウィーンに行かれたのですか?
行ったのは2年後という風になりますが、東京音大には1年しか通っていないです。大学1年生の夏休みの時に、ヨーロッパの講習会に行くことがあって、その時に国際コンクールもあって、マスタークラスと巨匠たちによるコンサートも毎日ありました。初めてヨーロッパの音楽の環境を直接見て触れて、今の先生、A.ピエッリ氏のマスタークラスを受けることになって、いい衝撃を受けて、これはすぐ行きたいなって思いました。その後一度日本に戻ってきて、東京音大の荘村先生に相談したら、先生は本当に喜んでくれて、私のために支持すると言ってくださって、先生にそういう風に応援してもらえたので、学校側にやめるという風に言ってウィーンに行くことになりました。
――ウィーンではどのような生活をしていましたか?ギター漬けの毎日でしたか?
常にギターは弾いていましたね。楽器が弾けるマンションを探して、そういうマンションは法律で決められていて、朝8時から夜の10時までなら弾いても大丈夫なところで。隣の人が弾かないでって言っても、弾かせない権利はないんですよ、近所の人に。法律で決められていることなので。なので、自由に弾いています。ギターの音はそんなに大きくないですし、テレビの音ぐらいなので、ちょっと大きく声を出すぐらいですかね。
――ウィーンでのエピソードは?
初めて講習会に行った時のエピソードはあって、リヒテンシュタインだったんですけど、リヒテンシュタインって世界で2番目に小さい国なんですね。日本でいうと、山手線ぐらいの面積で、人口も2万人ぐらいしかいなくて。すぐオーストリアの国境があって、私が講習会を受けるところとホテルがバスで、バス停が3つぐらい離れているところで。それで、講習会に行くためにバスに乗って行ったんですけど、バスが二つ走っていて、一つはオーストリア行のバスだったんですね。私が行かなきゃいけないのは、別の方向で。しばらく乗っていてなんか変だと思って降りて、日本の感覚だと反対のバス停から乗れば来た道に戻るだろうと思って、反対側のバスに乗って戻って来ようとしたら、そこからパスポートコントロールが始まって。国境のところで警察が入ってきて、「パスポートは?」って言われて。私はパスポートを持っていなかったし、国境だということも全然知らなくて。その後バスを降ろされて、警察署みたいなところに連れていかれて、そこに2時間ぐらいドアを閉められて「これから調査するから」って言われて、所持品を全部出されて、「フェスティバルに来たんだ」って言っても、まだ全然信じてくれなくて、ホテルの名前が「Angel」という名前だったんですけど、「エンジェル」「エンジェル」って言ったら、「そんなホテルは知らない」「そんなホテルはない」って言われて、ドイツ語読みだと「アンゲル」だったんですね。全然通じてなくて、あとその時、日本から来た日本人のギタリストがいて、その方の電話番号を書いてもらったんですね。で、ここに電話すれば繋がるから電話してくれってその紙を見せたら、「この番号はリヒテンシュタインの番号じゃない。あなたは誰だ?」と言われて、もうすごいボロ泣きしながら待っていて、その時まだ18歳の時で。それで2時間ぐらい待たされて、ようやく確認が取れて、やっと講習会の会場に行ったらみんなが爆笑だったんですよ。(笑)福田進一先生もいたりしたので。それが福田先生にとっては、ものすごい面白いエピソードになって、福田先生が日本に帰っていろんな人に言ったんですよ。もう日本のギター界では、結構知られているお話らしいです。今だに8年位前なんですけど言われます。それが初めてのヨーロッパでの印象的な経験ですね。その前日がイギリスでテロがあったんですよ。すごく深刻なテロがあって、その直後はやっぱりヨーロッパ全体でパスポートコントロールがすごい激しくなるんですね。普段だったら、するっと通れるところも厳しくされて。ちょうどその日に私もパスポートを持ってなくて、コピーも持ってなくて、そういう知識不足で。ヨーロッパではコピーとか必ずパスポートを持ち歩かなきゃいけないって、そこで初めて知ったのでいい経験でしたね。怖かったけど。
――ウィーンに留学されて、何か得たことはありますか?
やっぱり一人で生活しなきゃいけないし、一人ですべてをやらなきゃいけないっていうのがあって精神的にもすごく強くなりました。あとギターに関しては音の質を考えるようになりました。日本だと音に関してとかそんなに言われたことがなくて、そこまで真剣に音のことを言う人があまりいなかったんですね。何が本当にいい音とか、そこまで深く求めないというか。そういう感じだったんですけど、特に、今ついている私の先生は音色とか音の質に関して、ものすごいハイレベルのことを要求する人で、これぐらい出してもまだまだ出せるって言われて。これとその差がわからないのに何を出せばいいんだって最初は戸惑っていたんですけど、今は先生に最上級の音を出させてもらって、音は何で大事かっていうのを気づきましたし、それでその音をお客さんが聴くとやっぱり喜ぶんですね。お客さんの耳はものすごい敏感で、すぐわかっていただけるので、音に関しての評価だったり音の研究をしててよかったなって思います。そのことで表現の幅がすごく広くなるので、それが一番大きな変化です。日本にいたころとの。
――日本と比べてレッスンの方法は違うところがありますか?
特別違うことはないと思いますけど、やっぱり求めるレベルっていうものがものすごい高いんですよ。これでいいだろうっていうのを弾いても、でも先生は「まだまだ」「もう一回」っていう風になって、そのフレーズフレーズごとに最高の音と質と音楽を求めて練習するようにするので、耳のレベルが高くなって。自分に対しては聴く耳があまいじゃないですか。他の人の音はこれはこうだって言えるのに、自分の演奏は変わってなかったりする場合が多いんですけど、それがなくなりました。耳が伸びるとき、または成長するときって、自分がどうしても下手に聞こえてしまうので、スランプみたいな時期になってしまうんですけど、それを越えたらやっぱりグンと上がって自信がつきます。
――ウィーン以外に行ってみたい国はありますか?
行ったことは何回かあって、一番好きな国はスペインですね。ギターの街っていうのもありますし、人柄だったり、天気だったり、風景とかがものすごい好きで。人も温かいし。ヨーロッパの中で一番心が温かいんじゃないかなっていう風に思いますね。あと、スペインの国全体が陽気なんですね。面白くて。大体晴れているし、天気がいいので、鬱になる暇がないっていうか。常に明るくて、活発で。エネルギーをたくさんもらって帰ってこれるので、旅行に行ったときにものすごくいい気分になりますね。本当にいい力を得て戻れますね。
今、行きたいのはポルトガルです。そこも言語も美しいって言われてるし、人柄もスペイン人のように明るくて温かくて、そして食べ物がおいしいって聞いています。私が今ついているピエッリ先生はほとんど全世界周っているんですけど、その先生がポルトガルが一番好きっていうんですよ。なので、ぜひ行ってみたいんですね。
行ったのは2年後という風になりますが、東京音大には1年しか通っていないです。大学1年生の夏休みの時に、ヨーロッパの講習会に行くことがあって、その時に国際コンクールもあって、マスタークラスと巨匠たちによるコンサートも毎日ありました。初めてヨーロッパの音楽の環境を直接見て触れて、今の先生、A.ピエッリ氏のマスタークラスを受けることになって、いい衝撃を受けて、これはすぐ行きたいなって思いました。その後一度日本に戻ってきて、東京音大の荘村先生に相談したら、先生は本当に喜んでくれて、私のために支持すると言ってくださって、先生にそういう風に応援してもらえたので、学校側にやめるという風に言ってウィーンに行くことになりました。
――ウィーンではどのような生活をしていましたか?ギター漬けの毎日でしたか?
常にギターは弾いていましたね。楽器が弾けるマンションを探して、そういうマンションは法律で決められていて、朝8時から夜の10時までなら弾いても大丈夫なところで。隣の人が弾かないでって言っても、弾かせない権利はないんですよ、近所の人に。法律で決められていることなので。なので、自由に弾いています。ギターの音はそんなに大きくないですし、テレビの音ぐらいなので、ちょっと大きく声を出すぐらいですかね。
――ウィーンでのエピソードは?
初めて講習会に行った時のエピソードはあって、リヒテンシュタインだったんですけど、リヒテンシュタインって世界で2番目に小さい国なんですね。日本でいうと、山手線ぐらいの面積で、人口も2万人ぐらいしかいなくて。すぐオーストリアの国境があって、私が講習会を受けるところとホテルがバスで、バス停が3つぐらい離れているところで。それで、講習会に行くためにバスに乗って行ったんですけど、バスが二つ走っていて、一つはオーストリア行のバスだったんですね。私が行かなきゃいけないのは、別の方向で。しばらく乗っていてなんか変だと思って降りて、日本の感覚だと反対のバス停から乗れば来た道に戻るだろうと思って、反対側のバスに乗って戻って来ようとしたら、そこからパスポートコントロールが始まって。国境のところで警察が入ってきて、「パスポートは?」って言われて。私はパスポートを持っていなかったし、国境だということも全然知らなくて。その後バスを降ろされて、警察署みたいなところに連れていかれて、そこに2時間ぐらいドアを閉められて「これから調査するから」って言われて、所持品を全部出されて、「フェスティバルに来たんだ」って言っても、まだ全然信じてくれなくて、ホテルの名前が「Angel」という名前だったんですけど、「エンジェル」「エンジェル」って言ったら、「そんなホテルは知らない」「そんなホテルはない」って言われて、ドイツ語読みだと「アンゲル」だったんですね。全然通じてなくて、あとその時、日本から来た日本人のギタリストがいて、その方の電話番号を書いてもらったんですね。で、ここに電話すれば繋がるから電話してくれってその紙を見せたら、「この番号はリヒテンシュタインの番号じゃない。あなたは誰だ?」と言われて、もうすごいボロ泣きしながら待っていて、その時まだ18歳の時で。それで2時間ぐらい待たされて、ようやく確認が取れて、やっと講習会の会場に行ったらみんなが爆笑だったんですよ。(笑)福田進一先生もいたりしたので。それが福田先生にとっては、ものすごい面白いエピソードになって、福田先生が日本に帰っていろんな人に言ったんですよ。もう日本のギター界では、結構知られているお話らしいです。今だに8年位前なんですけど言われます。それが初めてのヨーロッパでの印象的な経験ですね。その前日がイギリスでテロがあったんですよ。すごく深刻なテロがあって、その直後はやっぱりヨーロッパ全体でパスポートコントロールがすごい激しくなるんですね。普段だったら、するっと通れるところも厳しくされて。ちょうどその日に私もパスポートを持ってなくて、コピーも持ってなくて、そういう知識不足で。ヨーロッパではコピーとか必ずパスポートを持ち歩かなきゃいけないって、そこで初めて知ったのでいい経験でしたね。怖かったけど。
――ウィーンに留学されて、何か得たことはありますか?
やっぱり一人で生活しなきゃいけないし、一人ですべてをやらなきゃいけないっていうのがあって精神的にもすごく強くなりました。あとギターに関しては音の質を考えるようになりました。日本だと音に関してとかそんなに言われたことがなくて、そこまで真剣に音のことを言う人があまりいなかったんですね。何が本当にいい音とか、そこまで深く求めないというか。そういう感じだったんですけど、特に、今ついている私の先生は音色とか音の質に関して、ものすごいハイレベルのことを要求する人で、これぐらい出してもまだまだ出せるって言われて。これとその差がわからないのに何を出せばいいんだって最初は戸惑っていたんですけど、今は先生に最上級の音を出させてもらって、音は何で大事かっていうのを気づきましたし、それでその音をお客さんが聴くとやっぱり喜ぶんですね。お客さんの耳はものすごい敏感で、すぐわかっていただけるので、音に関しての評価だったり音の研究をしててよかったなって思います。そのことで表現の幅がすごく広くなるので、それが一番大きな変化です。日本にいたころとの。
――日本と比べてレッスンの方法は違うところがありますか?
特別違うことはないと思いますけど、やっぱり求めるレベルっていうものがものすごい高いんですよ。これでいいだろうっていうのを弾いても、でも先生は「まだまだ」「もう一回」っていう風になって、そのフレーズフレーズごとに最高の音と質と音楽を求めて練習するようにするので、耳のレベルが高くなって。自分に対しては聴く耳があまいじゃないですか。他の人の音はこれはこうだって言えるのに、自分の演奏は変わってなかったりする場合が多いんですけど、それがなくなりました。耳が伸びるとき、または成長するときって、自分がどうしても下手に聞こえてしまうので、スランプみたいな時期になってしまうんですけど、それを越えたらやっぱりグンと上がって自信がつきます。
――ウィーン以外に行ってみたい国はありますか?
行ったことは何回かあって、一番好きな国はスペインですね。ギターの街っていうのもありますし、人柄だったり、天気だったり、風景とかがものすごい好きで。人も温かいし。ヨーロッパの中で一番心が温かいんじゃないかなっていう風に思いますね。あと、スペインの国全体が陽気なんですね。面白くて。大体晴れているし、天気がいいので、鬱になる暇がないっていうか。常に明るくて、活発で。エネルギーをたくさんもらって帰ってこれるので、旅行に行ったときにものすごくいい気分になりますね。本当にいい力を得て戻れますね。
今、行きたいのはポルトガルです。そこも言語も美しいって言われてるし、人柄もスペイン人のように明るくて温かくて、そして食べ物がおいしいって聞いています。私が今ついているピエッリ先生はほとんど全世界周っているんですけど、その先生がポルトガルが一番好きっていうんですよ。なので、ぜひ行ってみたいんですね。
――色々な場所で演奏会、TV、ラジオなどにご出演されていますが、一番思い出に残っている場所はありますか?
いつもコンサートは思い出に残っているんですけど、去年、アルバムのキャンペーンでラジオ出演した三重県。それこそ、昨日もそこの放送局に行って、ラジオに出演したんですけど、そこがよく覚えているというか、思い出すというか。ラジオとかあまり出たことがないし、ものすごい緊張してて、自分の中では大きな負担だったんですけど、三重県に来てそのラジオの放送局に行ったら、アットホームな感じで。あと、一人で全部やられてるんですね。司会もプロデューサーも編集とかも全部やられていて。そこで、本当にその人とおしゃべりをするような感覚でラジオをやったんですね。そこが初めて打ち解けたっていう感覚もあって、さらに楽しくできたので、すごく覚えてますね。昨日その場所に行ったら懐かしかったですね。
――オフの時はどのように過ごされていますか?
ビールを飲みながら映画を見てます。ほぼ毎日練習が終わった後の一番の楽しみというか。そのために練習を頑張るっていうか。練習を頑張れば頑張るほどおいしいんですよね。最初はビールのみで、ヨーロッパだとビールとワインが安いので、次に飲むのはワインですね。日本みたいに酒の種類がそんなに多くないので。あとはウィスキーになってしまうし、ウォッカとか。日本だとサワーとか梅酒とかいろいろあるけど、気軽に飲めるっていうのは、ワインとかビールですね。
――ほぼ毎日ギターは練習していますか?
そうですね。でも忙しくてできない時も多いので。あと、弾きたくないときは本当に弾かないですよ。放っておくと弾きたくなるので、自然と。わざと置いておくんですね。弾きたくないときに弾いても、集中してなかったら私には意味がないので。
――今、はまっていることはありますか?
長年はまっていることは写真を撮ることです。旅先で写真を撮ったり。去年のアルバムに出した「スペインの旅」の中のブックレットに写真があるんですけど、それも全部私が撮った写真です。そういう風にやっていけたらいいなって思います。自分のアルバムの中に、自分が見てきた風景だったり、こういう風に思い描く、イメージするっていうのを少しでも知ってもらえるように載せていけたらなって思っています。写真は必ず撮りますし、日常でも。最近は一眼レフを重くて持たなくなったんですけど、今はiPhoneとかでいい機能がいっぱいあって、すぐにパッて撮れるので。自分が歩いてても、よくものを見るんですね。なんか珍しいと思ったものを写真で撮ってみたり。あと絵ハガキとか集めるのが好きで、旅行に行ったときにその国の街で書いている人とかが出しているハガキがあるんですね。それを買って集めたり、最近は結構集まりましたね。自分では写真で撮れないところ、撮れない場所とか、アングルだったり、そういうところで彼らが書いた風景とか、彼らが想った感情で自分なりに書いてる、そういうのがおもしろいなって。いろんな風景を描いている絵を買ったり集めたりしています。
――編曲もされるんですよね?
編曲はスカルラッテイだけですね。もうちょっとやりたいんですけどね。この曲はいろんなヴァージョンがあるんですけど、どれもあまり気に入っていなくて。じゃあ自分でやってみようかなって思いました。トリルとかは先生に教わったりして、いろんなアイディアを先生からいただいて、その中で自分がこの音楽の中で一番合っているようなものを装飾して。編曲っていうほどでもないんですけど。
――今後も何か編曲したいですか?
そうですね。クラシック曲で弾きたい曲がいっぱいあるけど、なかなかできないので。でも、どうしてもピアノの曲をギターに編曲すると、ものすごい難しくて、音を外さなければいけないんですね。そうしたら、すごく寂しくなるので、ギターを2台、4台用に編曲して完璧にピアノに近づけたいっていうのはありますね。そういうのを今後やっていけたらと思います。たぶん2、3年ぐらいかかると思うんですけど。
――朴さんが思うギターの魅力は?
やっぱり音ですね。音がやさしい。本当に人の声に近い楽器だって言われていて。人の声って何時間聴いても飽きないじゃないですか。だからおしゃべりも何時間もできたりするんですけど。そういう風に近くで語りかけられるぐらいの感覚って、そういうのを持ちやすい楽器なので、そういうところで魅力があると思います。あといちばん人間と密着して弾ける楽器なので、こう、抱きかかえて弾くので。ピアノだったら少し離れていますが。チェロとかも割と抱えるんですけど、直接肌に触れるっていうのは、ギターだけかなっていう風に思って。大事に思える何か要素を持っていますね。
いつもコンサートは思い出に残っているんですけど、去年、アルバムのキャンペーンでラジオ出演した三重県。それこそ、昨日もそこの放送局に行って、ラジオに出演したんですけど、そこがよく覚えているというか、思い出すというか。ラジオとかあまり出たことがないし、ものすごい緊張してて、自分の中では大きな負担だったんですけど、三重県に来てそのラジオの放送局に行ったら、アットホームな感じで。あと、一人で全部やられてるんですね。司会もプロデューサーも編集とかも全部やられていて。そこで、本当にその人とおしゃべりをするような感覚でラジオをやったんですね。そこが初めて打ち解けたっていう感覚もあって、さらに楽しくできたので、すごく覚えてますね。昨日その場所に行ったら懐かしかったですね。
――オフの時はどのように過ごされていますか?
ビールを飲みながら映画を見てます。ほぼ毎日練習が終わった後の一番の楽しみというか。そのために練習を頑張るっていうか。練習を頑張れば頑張るほどおいしいんですよね。最初はビールのみで、ヨーロッパだとビールとワインが安いので、次に飲むのはワインですね。日本みたいに酒の種類がそんなに多くないので。あとはウィスキーになってしまうし、ウォッカとか。日本だとサワーとか梅酒とかいろいろあるけど、気軽に飲めるっていうのは、ワインとかビールですね。
――ほぼ毎日ギターは練習していますか?
そうですね。でも忙しくてできない時も多いので。あと、弾きたくないときは本当に弾かないですよ。放っておくと弾きたくなるので、自然と。わざと置いておくんですね。弾きたくないときに弾いても、集中してなかったら私には意味がないので。
――今、はまっていることはありますか?
長年はまっていることは写真を撮ることです。旅先で写真を撮ったり。去年のアルバムに出した「スペインの旅」の中のブックレットに写真があるんですけど、それも全部私が撮った写真です。そういう風にやっていけたらいいなって思います。自分のアルバムの中に、自分が見てきた風景だったり、こういう風に思い描く、イメージするっていうのを少しでも知ってもらえるように載せていけたらなって思っています。写真は必ず撮りますし、日常でも。最近は一眼レフを重くて持たなくなったんですけど、今はiPhoneとかでいい機能がいっぱいあって、すぐにパッて撮れるので。自分が歩いてても、よくものを見るんですね。なんか珍しいと思ったものを写真で撮ってみたり。あと絵ハガキとか集めるのが好きで、旅行に行ったときにその国の街で書いている人とかが出しているハガキがあるんですね。それを買って集めたり、最近は結構集まりましたね。自分では写真で撮れないところ、撮れない場所とか、アングルだったり、そういうところで彼らが書いた風景とか、彼らが想った感情で自分なりに書いてる、そういうのがおもしろいなって。いろんな風景を描いている絵を買ったり集めたりしています。
――編曲もされるんですよね?
編曲はスカルラッテイだけですね。もうちょっとやりたいんですけどね。この曲はいろんなヴァージョンがあるんですけど、どれもあまり気に入っていなくて。じゃあ自分でやってみようかなって思いました。トリルとかは先生に教わったりして、いろんなアイディアを先生からいただいて、その中で自分がこの音楽の中で一番合っているようなものを装飾して。編曲っていうほどでもないんですけど。
――今後も何か編曲したいですか?
そうですね。クラシック曲で弾きたい曲がいっぱいあるけど、なかなかできないので。でも、どうしてもピアノの曲をギターに編曲すると、ものすごい難しくて、音を外さなければいけないんですね。そうしたら、すごく寂しくなるので、ギターを2台、4台用に編曲して完璧にピアノに近づけたいっていうのはありますね。そういうのを今後やっていけたらと思います。たぶん2、3年ぐらいかかると思うんですけど。
――朴さんが思うギターの魅力は?
やっぱり音ですね。音がやさしい。本当に人の声に近い楽器だって言われていて。人の声って何時間聴いても飽きないじゃないですか。だからおしゃべりも何時間もできたりするんですけど。そういう風に近くで語りかけられるぐらいの感覚って、そういうのを持ちやすい楽器なので、そういうところで魅力があると思います。あといちばん人間と密着して弾ける楽器なので、こう、抱きかかえて弾くので。ピアノだったら少し離れていますが。チェロとかも割と抱えるんですけど、直接肌に触れるっていうのは、ギターだけかなっていう風に思って。大事に思える何か要素を持っていますね。
――最後に、当日いらっしゃる方々に一言メッセージをお願いします。
プロフィール
1985年韓国生まれ。日本と韓国で育つ。3歳で横浜にてギターをはじめ、これまでに荘村清志、福田進一、A.ピエッリ各氏に師事。東京音楽大学を経て、現在ウィーン国立音楽大学で研鑽を積んでいる。05年小澤征爾指揮によるオペラ公演に参加。07年ハインツベルグ国際ギターコンクール第1位及び聴衆賞、08年コブレンツ国際ギターコンクール第2位(1位なし)、ベルギー“ギターの春2008”第1位(コンクール史上アジア人そして女性として初めて)、リヒテンシュタイン国際ギターコンクール第1位、09年アレッサンドリア国際ギターコンクール第2位及び特別賞(ヤングアーティスト賞)、12年アルハンブラ国際ギターコンクール第1位&聴衆賞、他多くの主要国際ギターコンクールで優勝・受賞。2枚のCD「スエニョ~夢」「ソナタ・ノアール」は異例のヒットとなり、リサイタルがNHKで放送される等、今後の活躍が期待される、今注目のギター界の新星。2012年8月日本コロムビアよりアルバム「スペインの旅」でメジャーデビュー、10年カーネギーホール(ワイルホール)での米国デビューを果たす。2013年9月18日新譜「最後のトレモロ」をリリース。
HP:http://www.concert.co.jp/artist/kyu_hee_park/
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